クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

私が直面する宣教の壁(1)

 以前から感じていた壁とでもいうべき問題があります。それは引退してから、いくつかの教会で説教奉仕をしたときも「やっぱり」と感じた問題です。それは福音を「罪の赦し」に狭く限定して考えていることです。罪赦され永遠の命を与えられる、これが福音、と考える傾向が強いことです。

 このことを強く感じるのは、礼拝の司式をする教会の長老・役員の方の祈りを聞くときです。私が牧師として奉仕した金沢元町教会に赴任したときもその傾向がありました。私が信じる福音を宣べ伝えることによって、司式をする長老たちの祈りが変わってきたことを私はうれしく感じました。

 私が考える福音は、もちろんイエス・キリストの十字架と復活にあります。十字架と復活がどんな恵みを私たちにもたらすか、です。

  • 罪の赦しの恵み
  • 新生の恵み(キリスト者は生まれ変わった存在、神の子)
  • キリストに結ばれて生きる恵み(キリストと共に死に、キリストと共に生きる)
  • 聖霊の内住の恵み(信仰者のうちに聖霊が住んでくださる)
  • 律法の支配下ではなく、恵みの支配下に生きることができる恵み。
  • キリスト者の成長(キリストの似姿に成長する)の恵み

 礼拝における長老の方たちの祈りを聞くとき、「罪の赦し」の恵みに対する感謝の祈りはささげられますが、他の救いの恵みに対する祈りはほとんど聞きません。もし私が求道者だったら、クリスチャンになりたいと思うかどうか。クリスチャンの魅力が伝わってきません。

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ランタナ 散歩道にて


 教会の長老・役員の方たちは、礼拝を真剣に守り、説教もきちんと聞いておられます。ですから「説教」が問題なのです。罪の赦しは語られますが、それ以外の項目はあまり語られません。それは言い換えると説教者自身が、罪の赦し以外の救いの恵みを受けとっていないということを意味しています。とすればこれは非常に深刻な問題です。