神さまは、人との出会いを私に与え、牧師としての私の歩みを導いてくださったことをあらためて思います。私はクリスマスに洗礼を受け、一年経ってから神学校に行きました。私は信仰生活の積み重ねがないままに神学校に行き、牧師となりました。信仰とは何か、教会とは何か、十分に理解していないまま牧師となりました。足りない者でしたが、もちろん、精一杯力を尽くして神と教会に仕えました。
最初に赴任したのが三重県の鳥羽教会でした。その当時尾鷲教会におられたK牧師との出会いは忘れられません。ある時、K牧師を訪ねたのです。こたつに入って話をしていたとき、彼の幼い子どもが彼にじゃれるのです。お父さんが好きなんでしょう。彼は子どもを肩にのせたり、抱いたりしました。それを見て私は愕然としました。私の3歳の長男は、私にじゃれることなど一度もありません。私に親しみを感じていないのです。無理もありません。
私は夜間の神学校に行っていました。昼間は仕事です。結婚して子を授かっても子どもと接する時間はありませんでした。牧師となってからは、説教の準備で時間を取られ、親ではありましたが、子どもと遊ぶことが少なかったのです。あのじゃれる親子の姿を見て、私は考えざるを得ませんでした。
それから毎日時間を決めて長男と遊ぶようにしました。しかも腕時計を見ながら。子どもを本当に愛しているの、と聞かれても返事はできなかったと思います。やがて時計を見ることもなく、一緒に遊ぶことが楽しくなってきました。K牧師を訪ねたことは、思いがけない経験で、親としての自分のあり方を学んだ貴重な体験でした。もしこのことがなかったらと思うとぞぉっとします。
K牧師からは今ひとつ、「敬虔」ということを教わりました。尾鷲教会はホーリネスの教会でしたから、信仰者として「聖潔」「聖化」を目指すことに力点をおきます。私は彼からアンドリュー・マーレを紹介され、マーレーの本をずいぶん読みました。神さまの御心に従って歩み、聖なる者を目指すことを教わりました。
天智天皇の第7皇子。志貴皇子の歌。散歩道にこのような万葉集の歌を書いたものがいくつも見受けられます。さすが奈良。