クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

私にとっての主イエス(7)主に倣う、主に従う

私がキリストに倣う者であるように、あなたがたも私に倣う者でありなさい(コリント一11:1)。

それからイエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい(マタイ16:24)。 

  私にとって主イエスは、従うべき方あるいは倣うべき方です。それは義務感からでもなく、自由な気持ちから進んで「そうしたい」との思いからです。イエスという人格を持つお方の人格を自分も身につけたいとの願いから、従いたい、倣いたい、との思いがあります。

 完璧に従う、完全に倣うことは考えていません。それは不可能です。できないことは知っています。完璧は目指しません。心がけ、態度として、いつも従い、倣う者でありたいと思っています。生きる姿勢です。主イエスは私の目標です。主イエスに従うために、聖書を読みます。聖書を読まなければ、どのように従い、倣うかわからないからです。

 終末の時が来て、私たちは復活し変えられます。どのように変えられるかと言えば、御子に似た者に変えられます(フィリピ3:21、ヨハネ一3:2)。その時戸惑うことにないように、むしろこの世の歩みの完成を喜ぶことができることを願っています。

 私は「主に従うことはむずかしい、無理だ」とは決して口にしない覚悟でいます。救いの恵みとして、私たちは新しい命を与えられ、聖霊が私たちのうちに住んでくださり、私たちは恵みの支配下にいますから、主イエスに倣う者、信じる者へと変えられることを信じますし、私たちを救ってくださった神さまの御心だと信じています。

 

f:id:holala:20190917212650j:plain

散歩道にて