クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

主われを愛す(3)

みくにの門を ひらきてわれを
招きたまえり いさみて昇らん
わが主イエス わが主イエス
わが主イエス われを愛す 

  年を重ねてくると、この歌詞が重みをもって迫ってきます。

「いさみて 昇らん」

 この言葉には、私は天の国に昇る、という意志が表されています。ここには死を受けれ、天の国に行くという喜びが表明されています。自分は寿命が尽きて仕方なく死ぬのではなく、地上での働きを終え、天に昇るために喜んで死ぬという思いが語られています。死を積極的に受け入れる気持ちが表されています。

 教理と呼ばれる信仰の教えは大切なものです。説教の準備をするとき、自分が語ろうとすることは教理に即しているかどうか、チェックしてきました。信仰者の希望として永遠の命を与えられると教えられます。あるいは最後の審判でもイエス様を信じるゆえに、救いに入れられると教えられます。信仰の道筋を考える上で教理は大切です。でも教理によっては、私の心は励まされたり慰められたりしないのです。私にとっては、教えは頭の中にとどまり、心まで響いてきません。

 最近の私にとっては、教えではなく主イエスの言葉そのものが、心に迫ってきます。たとえば

「わたしを信じる者は、死んでも生きる」(ヨハネ11:25)

との主の言葉を心で聞くとき、希望が確かな希望になっていきます。

 同じように「主われを愛す」の讃美歌も、私の心に迫ってきます。死の床に就いたとき、この讃美歌に見送られて天に昇りたいと思います。

 

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目に飛び込んできた十字架。奈良市文化会館にて