クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

死ぬ準備をしています

 風が肌寒く、冬の到来を感じさせるこの頃です。午後散歩しましたが、だんだん花が少なくなってきました。

 一昨日の香柏会(隠退教師の集い)では食事の後、近況報告がなされました。他の先生方の話を聞きながら、老いの時期は試練の時期でもあることは昨日ブログに書きました。次に私自身の近況報告として話したことを紹介します。最近の身の回りのことを簡単に話した後、私はこう語りました。

「今、死ぬ準備をしています」。

 私は話術は得意ではないので、皆さんをびっくりさせることはできなかったようです。

「余命宣告を受けたわけではありません。私も皆さんもいずれ死ぬし、いつ死んでもおかしくない年齢です。いつ死んでもいいように、死の準備をしています。三つのことをお話しします。

 第一に、料理を学んでいます。独りの生活になっても困らないようにしています。これは妻の死に備えて、ということになります。私と妻、どちらが先に召されるかは勿論分かりません。(会が終わった後、私も料理を覚えるようにしていますと声をかけてくださった先生がおられました)

 第二に、喜んで死ぬことを課題にしています。牧師を引退した後、よろこんで歳をとりたいと考えて過ごしてきました。基本的に神さまが共にいてくださると信じているので、心の底には平安と喜びがあります。これから試練が来ると思われるので、よろこんで歳をとるのは信仰の戦いです。これをもう一歩進めて、よろこんで死ぬことを課題としています。特に讃美歌の「主われを愛す」には、

「みくにの門を開きてわれを 招きたまえり勇みて昇らん」

とあります。勇みて昇らんとは、期待に心を躍らせてという意味があると思います。死の床にある時にすでに、心を躍らせることができたらすばらしいと思います。こうなるにはどうしたらいいのでしょうか。答えは聖書にあると信じます。聖書から学ぶことができると思っています。日々聖書に親しむようにしています。

 第三に、生きている限り、そして許される限り、キリストの証人として生きていくつもりです。私にとって老いを生きるとは、キリストの証人として生きることです。年齢に関係なく、キリスト者はキリストの証人ですが。そして福音を信じて生きる幸いを具体的に証しし、キリストの証人、福音の証人として生きることを続けます。そのためにブログを用いて福音は何か、福音に生きる幸いを証ししていく努力をしています。

 およそこのようなことを話しました。

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秋を感じた大阪の空