クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

私の好きな聖句(2)マタイ5:7

憐れみ深い人々は、幸いである。その人たちは憐れみを受ける。
(マタイ福音書5章7節)

 私が静岡県の御殿場教会で牧会していたときのことです。日曜日以外にも、教会にはいろんな人が来ます。ある時ブラジル人夫妻が来ました。奥さんは日系のブラジル人で片言の日本語を話しました。用件は車を廃車にしたいので手続きの方法を教えてほしいというものでした。解体業者を調べ、陸運事務所の場所を調べ、地図をコピーし、手続きについても説明をしました。しばらくしてきょうかいにきました。今度の要件は、

「車を買いたい。ローンで買うので保証人が必要。保証人になってほしい」

とのことでした。こういうとき思い出されるのがサマリア人のたとえです。強盗で傷ついたサマリア人を見過ごしていくか、立ち止まって手当をするのか、あなたはどうするの、との問いかけを受けます。

 私の父は小さな会社を経営していました。お金で苦労していました。ある時、私は大学の中退を考えたこともありました。父は私を、他人の借金の保証人になってはいけないとかたく戒めました。父から教えられた唯一の教えかもしれません。ローンの保証人になってほしいとの依頼。中古車ですから、そんなには高くないのですが、車ですからそれなりの金額になります。

 頼まれてすぐに返事をしたかどうか、もう忘れました。その頃読んでいた申命記で

「寄留の民を愛しなさい。あなたがたもかつてはエジプトで寄留の民だったのだから」

という聖書の言葉を読みました。このブラジル人夫婦は、故国に子供と祖母をおいて日本に働きに来ているのです。話を聞いてみると彼らはクリスチャンでした。イエス様の教えの「憐れみ深い人々は幸いである」が思い出されました。

 結論として保証人になることにし、印鑑を押しました。万一自分が肩代わりすることになっても何とかなると思える額でしたので。しばらくしてまた彼らは教会に来ました。会社を首になり、別な仕事のために御殿場を去ることにしたとのこと。彼らを見送りました。

 3ヶ月ほどして、お金の引き落としができなかったので連帯保証人のあなたがお金を振り込んでくださいとの通知が来ました。その後連絡は取れていません。憐れみ深い人になるには犠牲も払う必要があると教えられました。でもこれはこれでよかったと思っています。最初に彼らの助けになったとき、「先生、ありがとう」と言われた言葉は忘れられません。

ハナミズキの街路樹 散歩道にて