クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

必ず祈る祈り

日々祈る時、必ず祈る祈りがあります。

「私があなたに召されるとき
『よくやった。私のもとに来なさい』との
神さまの声を聞かせてください。
『父よ、わたしの霊を御手にゆだねます』と祈ることができるように」

 この祈りを祈りながら、「よくやった」と神さまが言ってくださると考えるのは自信過剰ではないか、うぬぼれているのではないか、思い上がっているのではないか、と思うことがあります。このブログを読んでいる「あなた」もそう思うかもしれません。

 私は信仰者として生きていますが、罪を犯す者です。難癖をつけるなら、わたしの歩みにはいくらでも問題もあるし色んな不足もあると思います。ですからもっと謙遜に祈るべきなのかもしれません。

 今日説教の準備で読んでいた本にこう書かれていました。

「あなたはこう言うべきである。
『私がふさわしくない者であることは分かっている。罪深い者であることは分かっている。私がどれほどの悪人かは誰も知らない。だが神はキリストにおいて私を義と認めてくださった。私は自分自身により頼んではいない。ただ全く絶対的に主イエス・キリストと、主が私に代わって行ってくださったみわざと、私に関して神がお告げになった宣言だけにより頼んでいるのだ』。信仰のみによる義認の上に立たなくてはならない」。 

  私たちはふさわしくないのに義と認められていることをあらためて確認しました。神さまの恵みです。

 私は神さまから「あなたはよくやった」と言われるのにふさわしい者ではありません。それは分かっています。努力不足があり、熱心さに足りず、問題もあることと思います。そのことはわかっています。しかし神さまは「よくやった」と言ってくださると信じます。イエス・キリストへの信仰により私を義としてくださった神さまは、イエス・キリストを信じ、神さまに召されて福音宣教の業に携わってきた私に「よくやった」と言ってくださると信じます。神さまは恵みの神さまだからです。

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コスモス  散歩道にて