聖なる者となるためにはどうすればよいのでしょうか。これまで、二つのことを話しました。第一に私たちが聖なる者となることは神さまのご意志であることを受けとめ、神のご意志に生きることを選択すること。第二に私たちはすでに聖なる者とされていると信じ、さらに聖なる者となっていくことを目指すこと。私たちは聖なる者へと変えられ続け、成長していきます。
そして今回は第三番目です。私たちが行うべきは、御言葉によって生きることです。具体的には御言葉を実践して生きることです。
私は日本キリスト教団という教派に属する牧師です。この教派に属する教会では、聖なる者となること(聖化)は余り語られていないように思います。そして御言葉を実践することもあまり強調されていないように思います。その一つの理由は、律法主義に陥ることを恐れるからではないかと想像しています。
さらに私たちが聖なる者とされていること、聖なる者として成長していくことが神の導き、聖霊の働きによって可能であることが信じられていないようにも思えるのです。
これらの問題の背後には、なぜ聖書を読むのか、という問題があるように思います。これについては、「聖書を読む」ことをテーマにして取り上げたいと思います。
聖なる人というと、汚れのない清らかな心を持つ人であるとか、人々の模範となるように立派な行いをする人のことだと思われるかもしれません。イエス様もこう教えられました。
あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。
聖なる人とは、神の恵みによって新しく創造された人(コリント二5:17)、古い人を脱ぎ捨て新しい人を着た人(エフェソ4:22-24)、キリスト共に死んでキリストと共に生きる人(ローマ6:3-4)、というのが聖書が告げる聖なる人だと私は信じます。罪に打ち勝っていく人です。それは言い換えると聖書の言葉によって生きる人、聖書の言葉に立って考え行動する人ということです。この点で私たちは信仰のない人と区別され、神のものとされています。つまり聖なる人です。
私には個人的な信仰告白があります。紹介します。
- 神さまは、私のことを愛してくださっています。
- 神さまは、私のことをよくご存じです。
- 神さまは、私のために最善の人生を備えてくださっています。
- 神さまは、私を導き、最善の人生を歩ませてくださいます。
そこで私が聖書を読むのは、神さまが私のために備えてくださっている最善の人生に生きるためです。神さまが私のために用意してくださっている最善の人生を生きるために、神さまが導いてくださるその導きを知るために私は聖書を読みます。そしてその導きに従います。導きに従うとは、行動するということです。ここに私たちが聖なる者になる道があると私は信じます。
他の道もあるかもしれませんが、私は自分が歩んでいる道しか紹介できません。