私が御殿場教会に赴任した時、長老の任を退いた年配の方から言われた言葉が忘れられません。
「先生、中学生にも分かるように説教してください」。
信徒の方が礼拝に出席するからには福音を聞きたいとの切なる願いがあるはずです。福音を聞いてこそ、礼拝に出席する喜びがあります。神さまをたたえる思いに導かれます。
この方は、説教を聞いてもよく分からない、とのもどかしい思いを抱かれてきたのだと思いました。自分だけでなく、教会の他の人たちのことも考えていたと思いますし、これで教会員の信仰が育まれていくのかと危惧されていたかもしれません。切ない思いが伝わってきました。「努力します」と返事をしました。
私自身が説教で気をつけることがいくつかあります。
- 抽象的な言葉は使わないこと。
- 筋道が通ること。話しが順を追っているので聞いていれば何が話されているのか理解できること
- この説教では何を福音(よき知らせ)として伝えたいかをはっきりさせること。そのために、説教で伝えたいメッセージを一行の文章に書きます。それをしないで原稿を書くことはしません。
- 何を福音として語るか、それを聴き取るために努力を惜しまないこと。
いつの頃からか覚えていませんが、できた説教原稿を妻に読んでもらうようにしました。一人の聞き手として妻に読んでもらいます。筋道が通っていないとか、この箇所はわかりにくいとか、率直に意見を言ってもらいます。そのおかげで説教が整えられて感謝をしています。最初の頃は指摘されるといい気持ちはしませんでしたが、やがて謙遜に妻の指摘を聞くようになりました。土曜の夜、夜中の12時過ぎに原稿を読んでもらうことはしばしばありました。妻の労苦に感謝です。