「恐れというのはその正体を見ると恐れでなくなります」
これを聞いた時、「へぇ~」と思いました。そして、そうだろうな、と思いました。でも「正体を見る」努力を私はしませんでした。
正体を見ることは、なんか怖い気がしました。「太陽と死は見つめることができない」と昔の人が言いましたが、恐れの正体も見つめるのはむずかしそうです。案外そこには見たくない自分がいるように思います。
ある時、気づきました。牧師になってからです。失敗することへの恐れがあることを。そして失敗を恐れるのはプライドのゆえであることを。失敗して自分が立ち往生し、みじめな姿をさらすことはいやなのです。あってはならないことなのです。
最近は「恐れるな」というイエス様の言葉が心に響きます。どのような時もこのイエス様の言葉を心で聞くようにすれば、恐れがあっても大丈夫ではないかと思うようになりました。余命を宣告されて動揺しそうな時、「恐れるな」とのイエス様の声を聞こうと思っています。