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隠退牧師 holala によるブログ

イエスの行かれたところに

 ヨハネ福音書13章36節以下を読みました。ペトロが「あなたのためなら命を捨てます」とイエス様に語り、これに対してイエス様が「鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」と言われた箇所です。

 ペトロが語る直前イエス様は弟子たちにこうおっしゃったのです。

「わたしが行く所にあなたたちは来ることができない。後でついて来ることになる」。

 イエス様はこの言葉を以前ユダヤ人たちに語ったことがあります。今回は弟子たちに語られました。このイエス様の言葉を聞いて弟子たちはどう思ったのかと考えます。「あなたたちは来ることができない」。急に突き放されたような気持ちになったのではないでしょうか。

 今流の言葉で言えば、イエス・ロスです。イエス様がいなくなる、大きな喪失感が生じます。それだけではありません。弟子たちはこれまで、イエス様と寝食を共にしてきました。イエス様はご自分がメシアであることを伝えてきました。その業はどうなるのでしょうか。中断してしまうのでしょうか。そしてこれから自分たちはどうしたらいいのか、弟子たちは一挙に不安に陥ったのではないかと想像したりします。

 そしてペトロは言います。「あなたのためなら命を捨てます」。ペトロはどんな気持ちでこれを言ったのでしょうか。イエス様のためなら自分は命を捨てる覚悟があるので、私を一緒に連れて行ってくださいとの思いなのでしょうか。この短い物語を読みながら、私の心に留まったのは

「後からついて来ることになる」

とのイエス様の言葉です。イエス様の弟子たちは、結果的にイエス様の行かれたところに行きました。つまり天の父のもとに弟子たちも行きました。

 そして私が死んだら、イエス様の行かれたところについて行くこと、つまり私も父なる神さまのもとへ行くことを教えられます。これはうれしいことです。この聖句も自分の死を受け入れることを助けてくれます。聖書を読む中で、自分の死を受け入れることを助けてくれる聖句に出会うのはうれしいものです。

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いつも行くパン屋の植木。オリーブの実が。