クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

なすべきことはただ一つ

 私には一つの課題があります。それは『喜んで死ぬ』という課題です。私の終活です。死期が近づいているわけではありません。ご心配なさらないでください。

 ルターも親鸞も死後自分が行くところを知っているのに、しかもそれが素晴らしい「ところ」であることを知っているのに、自分の死を喜んでいないと告白しています。そのことは1月18日のブログに書きました。ですから私の課題は、彼らを超えるチャレンジとなります。

 この二人がなぜ、自分の死を喜べなかったのか、理由は分かりません。私の場合は、この世に長く生きたためにこの世に愛着があるのではないかと思います。この世にいることに安心感があるのです。向こう行くことに一抹の不安を感じるのです。未知の世界に行くことへの不安です。

 そんな私にとってアブラハムは模範です。ヘブル書にこう書かれています。

「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです」(11:8)。

 「行き先も知らずに出発した」。すごいなと思います。このアブラハムの姿は、信仰生活に入るとき、私の模範でした。信仰の世界がどのような世界か分かりませんが、アブラハムを模範とし、信仰に生きようと励まされました。そして今、「行き先がどのようなところか分からずに出発する(世を去る)」のです。今度は信仰の世界ではなく、神の国です。

 アブラハムの場合、戻ろうと思えば住み慣れた町に戻れるのです。しかし神の国に向かって出発するとき、後戻りはできません。後戻りできない、そこに何とも言えないものがあります。言葉で表せば、この世に対する未練あるいは未知の世界に行くことへの不安です。

 この未練に対する解決は祈るしかないと思っていて、昨日祈りました。パソコンに向かって祈りの言葉をタイプしました。すると一つの聖句が思い起こされたのです。私の祈りに対する神さまの答えと思いました。その聖句はこれです。

「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」(フィリピ3:13~14)。

 今の私に適切な御言葉を与えられたと感謝しました。この聖句をA4の紙に印刷し、壁に貼って目につくようにしました。

 

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与えられた聖句