以前このブログにも書きましたが、また書きます。その頃、教会はなんかゴタゴタしていたというか、ザワザワしていたというか、いい状態ではありませんでした。私がそれらに関係していたことは確かです。
教会の状況を心配したのでしょう、一人の長老さんが牧師館に訪ねてきて、話しをされました。2時間ほど話されたでしょうか。牧師としての私の問題点を話されました。彼の話を聞いて「それは違う」と言いたいこともありましたが、私は自分の記憶が曖昧だったので、反論しづらく、弁明はせず、聞き続けました。
その後、日曜の朝、教会行くことに強いストレスを覚えるようになりました。日曜の朝、吐き気をもよおしました。私は彼を恐れたのです。でも教会に行かないわけにはいきません。教会に行き、礼拝奉仕をし、長老会を行い、牧師としての務めを果たしました。この強いストレスに悩んだ期間は、とてもつらかったです。うつ病になる寸前まで行ったように思います。神さまに守られました。
「あなたは自分の気持ちを大切にしていない。だから人の気持ちが分からないのです」
と言われ、考えさせられました。私は自分の気持ちより、自分は何をなすべきかを優先していました。心より頭を優先して生きていました。自分の気持ちを大切にし、人の気持ちを大切にするように考え方をあらため、努力しました。
神さまの導きにより、彼に対する恐れからは自由になりました。
私は牧師を引退して奈良に住んでいますが、ある時、彼から連絡がありました。「旅行の帰り、奈良に寄りたい」と。その長老さんが奥さんと一緒に訪ねてくださり、一緒にコーヒーを飲み、再会を共に喜びました。
苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを/学ぶことができました。(詩編119:71)