クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

時間の感じ方

 朝目覚めると今日も一日が始まると思います。この一日は老いの一日であり、毎朝目覚めると同じ「老いの一日」を生きることを思います。昨日も、今日も、そして明日も「老いの一日」です。毎日が「老いの一日」の繰り返しです。こんな感じ方をするのは最近になってです。

 今日テレビで面白いことを聞きました。時間の流れには二種類あるとのこと。一つは直線の流れ。赤ちゃんが成長し、少年となり、青年となり、・・・・。この直線的な時間の流れの中で私は老いていきます。

 もう一つの流れは、春が来て夏が来る。夏が来て秋が来る。秋が来て冬が来て、そして春が来るという流れ。この時間の流れは循環です。老い日々とは、「老いの一日」の繰り返しです。

  若いときは、今日を生きるとは昨日とは違う日を生きることであり、明日を生きるとはは今日とは違う日を生きることでした。そして明日に対する期待がありました。老いた者には明日に対する期待よりも明日に対する不安が大きいと思います。体調に対する不安、体の衰え、経済的な不安。

 今の私の「老いの一日」に変化を与えているのは、説教奉仕の準備です。隠退していますから、毎週ではありませんが、日曜の説教奉仕に向かって時間が流れていきます。充実感を感じます。

 そしてもう一つ。平凡な毎日の繰り返しの中で、聖書を読んで聖書を思いめぐらすデボーションをすること。聖書との対話は、思いがけない気づきを与えてくれてうれしいです。

  

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他人(ひと)は他人 我は我なり 花咲かす 置かれた場所で ただひたすらに