クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

新型コロナウィルス感染脅威に関連して

 神戸改革派神学校のサイトに『ウイルス禍についての神学的考察』という文章が公開されています。これを書かれたのは、この神学校の校長吉田隆さんです。このサイトのことを教えられ、その文章を読みました。その中でも私はマルチン・ルターの書いた公開書簡『「死の災禍から逃れるべきか」』の紹介に心惹かれました。それを紹介したいと思います。以下は、『ウイルス禍についての神学的考察』からの引用です。 

(1)困難な時こそ神の召しに忠実であれ

 ルターはまず牧師たち聖職者に対して、命の危険にさらされている時こそ、聖職者たちは安易に持ち場を離れるべきではないと戒めます。説教者や牧師など、霊的な奉仕に関わる人々は、死の危険にあっても堅く留まらねばならない。私たちには、キリストからの明白な御命令があるからだ。

「良い羊飼いは羊のために命を捨てるが、雇い人は狼が来るのを見ると逃げる」(ヨハネ 10:11)と。

 人々が死んで行く時に最も必要とするのは、御言葉と礼典によって強め慰め、信仰によって死に打ち勝たせる霊的奉仕だからである。

 牧師だけではありません。行政官などの公務員や医療関係者、主人と召使い、子を持つ両親に至るまで、各々が主から与えられた(他者に仕えるという)召しを全うせねばならないと、ルターは述べます。さらに、身寄りのない子どもたちや知人・友人に至るまで、およそ病の苦しみにある隣人をケアしなければならない。なぜなら、主が

「私が病の時に、あなたは訪ねてくれなかった…」(マタイ 25:41-46)

と仰せになったからである、と。実際、困難な中にある隣人を助けないのは殺人と同じだ(Ⅰヨハネ 3:15)とさえ言います。

 つまり、このような災禍が神から与えられたのは、私たちの罪を罰するのみならず、神への信仰と隣人愛とが試みられるためである。悪魔は、私たちが恐れと不安にさいなまれキリストを忘れるようにと仕向ける。しかし「お前の牙に毒があったとしても、キリストにはさらに大いなる(福音という)薬がある…。悪魔よ、去れ! キリストはここにおられ、ここに主に仕える僕がいる。キリストこそ、崇められますように! アーメン」と、ルターは説教します(“神はわがやぐら”は、この時期に作られたとも言われます)。

(2)不必要なリスクを避けよ

 他方において、ルターは、死の危険や災禍に対してあまりに拙速かつ向う見ずな危険を冒すことの過ちについても述べています。それは神を信頼することではなく、試みることであると。むしろ理性と医学的知見を用いて、次のように考えなさいと諭します。

 私はまず神がお守りくださるようにと祈る。そうして後、私は消毒をし、空気を入れ替え、薬を用意し、それを用いる。行く必要のない場所や人を避けて、自ら感染したり他者に移したりしないようにする。私の不注意で、彼らの死を招かないためである…。しかし、もし隣人が私を必要とするならば、私はどの場所も人も避けることなく、喜んで赴く。

 このように考えることこそ、神を恐れる信仰の在り方であると。ただし、実際の現場においてどのように判断し行動するかは、各自が考えるべきこととしています。

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 以上が引用です。深く教えられます。ルターの時代にはペストが流行し、ヨーロッパの人口のうち、1/3~1/4が亡くなったとされています。