神は天地を創造されました。そして人間も創造されました。神は何のために人間を創造されたのでしょうか。神は人に何を期待されているのでしょうか。イエス様はある時、最も重要な神の掟は何かと問われてこう答えられました。
「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい』」(マタイ22章)。
人は神を愛し、自分のように隣人を愛すること、これは神が人間を創造された目的のひとつです。
現実の世の中では、人が自分のように隣人を愛せないために、色々な問題が起きています。離婚や家庭内暴力は、家庭の中にあって、愛し合えない現実のあることを示しています。人を苦しみの中に追い込みます。戦争もなくなりません。部族同士、民族同士、国家間の戦争が行われ、人々は、平和に幸福に生きることができないでいます。人が他者を愛することができず、自己中心に物事を考える結果です。悪口を言ったり、人をさげすんだり、憎んだり、妬んだり、争ったり、愛のない殺伐とした世に私たちは生きています。神は、人が愛し合い、幸いに生きることを願っています。
しかし人は愛することがどういうことかよく知りません。私たちは、愛することを神から教えてもらわなければなりません。神ご自身が愛の神だからです。神がどのように人間を愛されるかは聖書に書かれています。私たちは神に愛され、愛を知り、他者を愛します。
神は、私たちが他者を愛し、人々が愛し合う世界をつくることを願っています。そのために私たちが力を尽くすことを神は願い、期待しています。
しかし信仰者となり人を愛そうとすると、たとえば身近な家族でさえも愛したいとの気持ちになるどころか、愛したくないとの思いが湧いてくることがあり、「愛しなさい」との神の教えに背く自分、逆らおうとするかたくなな自分を見いだしたりします。自分の罪を知るのです。礼拝で説教を聴き続けると今まで気にしなかったことが気になり始め、自分の愛の薄さなどが気になり始めます。罪意識が芽生えてきます。
しかし福音は、信じる者すべてに救いを得させる神の力です。