クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

私の身によってキリストが

フィリピの信徒への手紙 1章20節
そして、どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。 

  私は若い頃からこの聖句に心が惹かれてきました。でもそれだけでした。しかし老いていく中で、パウロのこの願いを自分の願いにしたいと思いました。そこで祈りのノートに書き留めました。私の身を通して、生きるにも死ぬにもキリストが公然と崇められるように、と。

 祈り続けてきたある日、ふと気づきました。「あなた自身は誰をとおしてキリストを崇めているのか」。他者を通してキリストを崇める経験がないのに、自分の身をとおしてキリストが崇められることを願うのは、傲慢ではないのか。これは大それた願いかもしれません。そんな思いを抱いているある時、パウロの言葉を思い出しました。

コリント一11:1
わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。

 他者を通してキリストを崇める、それは具体的に他者を模範とすることだとの思いに至りました。自分も誰かの模範になれたらいいのではないか、と思いました。そのためには、まずわたし自身が模範となる人を見いだし、その模範に倣うことが第一歩と思いました。案外身近なところに模範となる方を見いだしました。その方はご夫婦で、毎日聖書を通読しているとのこと。何回も聖書全体を通読したと言っておられました。私がかつて牧会していた教会の教会員の方です。聖書全体通読はまだ先の課題として、まずは妻と一緒に聖書を読む習慣を作ることにチャレンジです。

 そして今考えているのは、パウロに倣う者となることです。そのためにはパウロのどこを見倣うかを考えなければいけません。新たなテーマです。

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大和の国らしい? 散歩道にて