イスラエルの民は神と契約を結び、神の民として生きていくことになりました。イスラエルの民はアイデンティティーに生きる民でした。当初イスラエルの民は、神の民として生きていくことがどういうことか分かっていませんでした。彼らは神の民として誕生したばかりでした。これから彼らは神の民として成長していくのです。イスラエルの民は、
- 神が彼らに対して好意を持つ神であることを信じ、この神に信頼して生きるようになる。
- 神との関わり、神との交わりに生きるようになる。神を信じるとは困っているときに助けてもらえばそれでよいというものではない。
- 神を喜び、神の戒めを喜ぶようになる。神の戒めは人間を幸せにすることを目的としたものであることを知るようになる。
エジプトを脱出したイスラエルの民は、神が彼らを救う神であることを体験しました。神はイスラエルの民に「あなたはわたしの宝の民である」と語り、イスラエルを大事にする神にであることを宣言されました。
イスラエルの民はエジプトを出てシナイ山の麓に到達する前にいくつもの神の救いの御業を体験しました。最初は葦の海の奇跡、エジプト軍からの救いです(出エジプト記14章)。マラの苦い水を飲めるようにする奇跡(同15章)。食物に困った民に毎朝マナを与える奇跡(16章)、飲み水が得られない場所での飲み水を与える奇跡(同17章)。アマレク人に対する戦いの勝利(同17章)。約束の地を目指す民は試練と思える困難が生じますが、すべて神は御業を行い彼らを助けました。
民は、神が彼らを救う神であることを体験することができました。繰り返し神の救いを体験したイスラエルの民は、自分たちが神にとって大切な民であり、神は自分たちを見捨てることなく困難なときには助けてくれる神であることを学習することができました。それゆえ困難に直面したときは、神に助けを求めればよいことを学習できました。
イスラエルの民は学習し神の民として成長することができたはずなのです。聖書を読むと、彼らは順調に成長したとは限らないことが分かります。