最近讃美歌を原詩で味わい歌うことに楽しみを覚えています。今歌っているのは讃美歌280番です。英語の曲名は、『My hope is built on nothing else』です。
My hope is built on nothing less
than Jesus' blood and righteousness;
I dare not trust the sweetest frame,
but wholly lean on Jesus' name.
(Refrain):
On Christ, the solid rock, I stand;
all other ground is sinking sand,
all other ground is sinking sand.
(私訳)
私の希望はイエスの血と義を基礎としている。
私はもっともらしい考え方に信頼せず、
イエスの御名に全面的に頼る(繰り返し)
私は堅い岩であるキリストの上に立つ。
他のどんな土台も沈みゆく砂に過ぎない。
他のどんな土台も沈みゆく砂に過ぎない。
讃美歌280番
わが身ののぞみは ただ主にかかれり
主イエスの外には よるべきかたなし
(折り返し)
わがきみイエスこそ すくいの岩なれ
すくいの岩なれ
原詩は「私は堅い岩であるキリストの上に立つ」と信仰告白的な歌詞です。日本の讃美歌は「イエスこそすくいの岩」とイエスをたたえる内容です。私は原詩の信仰告白的な歌詞の方が好きです。それで出だしの「私の希望はイエスの血と義を基礎としている」も神学的・具体的でいいなと思います。
問題は歌詞の三行目です。
I dare not trust the sweetest frame,
この sweetest frame は何を意味しているのか、です。
「I dare not trust the sweetest frame」で検索すると、英語を母国語とする人々の間でも、これは何を意味しているのか、問題になっています。どういう意味なのか、自明ではないのです。
「dare」は「あえて~する」
「trust」は「信頼する」
「sweet」は「甘い、心地よい、優しい、新鮮な」
「frame」は「枠、骨組み、体格、起案、機能」
歌詞は「私はあえて sweetest frame に信頼せず、イエスの御名に全面的に頼る」となります。sweetest は最上級です。人間の心を強力にとらえるものを意味します。frame は「枠」と考え、人間にはそれぞれの考え方というものがあります。自分の考え方というのは簡単に捨てることができるものではなく、強力なものです。
信仰者は神に信頼すると言いますが、心の底では自分のもつ何かに信頼あるいは執着しているということがあります。人によって、それは様々です。そこでそれを sweetest frame という抽象的な言葉で表現しているのかと思います。それで「もっともらしい考え方」と訳してみました。
たとえば人は言います。「信頼できるのは自分だけ」。これも sweetest frameです。最近気づかされたことですが、私は自分の理性を偶像視していました。自分の理性が信じることのできるものを信じるという考え方・立場です。イエス・キリストを信じる信仰は理性にかなうものです。理性を働かせて聖書を読み、聖書を解釈します。私自身の信仰の弱点は、私の理性が納得できないことは知識としては認めても心から信じることができないという点です。
勿論私は聖霊に導かれて信仰者になりましたし、聖霊の導きにより聖書を神の言葉と信じ、神の言葉に立って歩んできました。聖書に書かれていることを否定することはありませんが、心から信じると言えないことがなきにしもあらずなのです。
On Christ, the solid rock, I stand;
それで「私は堅い岩であるキリストの上に立つ」と賛美し、この告白が真実な告白となるように願っています。