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隠退牧師 holala によるブログ

クリスチャンの成長(8)聖なる者として生きる-4

聖なる者というアイデンティティーに生きることの積極面を考えます。聖なる者になるように勧める聖句はいくつもあります。

ヘブル 12:14
すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。

 ペトロ一 1:15

召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。

 聖なる者として歩む上で私が注目したのがコロサイ書の言葉です。

コロサイ 3:12
あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。

 聖なる者として、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身につけることが勧められます。人間が身につける大切な徳といえます。しかし見方を変えると、これらは神さまの性質です。神さまはイスラエルの民に対してご自身がいかなる方かを明らかにされました。

出エジプト 34:6~7
主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者」。

 ここには神さまの性質として憐れみ深さ、慈しみ、忍耐強さ(=寛容)があげられています。またイエス様はご自身についてこう語ります。

マタ 11:29
わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。

 ですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容は神さまの性質なのです。これらを身につけることは神さまの性質を身につけることを意味します。つまり私たちが聖なる者となることを意味します。そこで憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容の五つを少しでも身につけた人になることを目指したいと思います。

 人というのは、考え方が変われば行動が変わり、行動が変われば習慣が変わり、習慣が変われば人格が変わります。自分の生活の中で「憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容」を大切に考え、生活の中の一つ一つの場面で実践を積み重ねていけば、身につけることができます。

 だれからも「あなたは本当に聖なる人ですね」と認められる人を目指す必要はありません。私たちが今書いた努力を積み重ねていくなら、神さまは、私たちが聖なる者として歩んでいることを知ってくださいます。神さまが知ってくだされば、それで十分です。

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