クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

聖書が伝えること

 キリスト教というのは、ある意味ややこしいというか、面倒くさい宗教です。ある意味わかりにくい信仰です。それだけ深い信仰を伝えています。

 人間は罪を犯し、そのためにこの世界は混乱し、争いに満ちている。人間を罪から救い、この世界を救う、それが神の御心、計画だと聖書は告げます。

 まずダビデが言うように人は母の胎にある時から罪のうちにありました。

詩編51:7
わたしは咎のうちに産み落とされ/母がわたしを身ごもったときも/わた
しは罪のうちにあったのです。

 つまり人はこの世に生まれてくれば、罪を犯しながら生きるのです。すべての人が例外なくそうなのです。ですからこの世界は、人の罪のゆえに、様々な問題にあふれている世界となります。そして人も様々な問題の中にあって苦しみます。中には、まあ、自分は何とか頑張って生きていると自分を誇る人がいるかもしれません。しかし人の犯す罪がこの世の様々な問題を引き起こしているのは、まぎれもない事実です。

 罪を犯していれば人生はうまくいく筈はありません。人はある点で妥協して、自分の人生は悪くはない、この社会は悪くない、と考えます。それは自己満足に過ぎません。聖書は、この世の問題は罪にあること、そして神は人を罪から救い、この世を救おうとされたと教えます。神は救い主キリストをこの世に送られたのです。

ガラテヤ 1:4
キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。

 人間は教育を受ければ、正しく良く振る舞うことができるから、教育を充実させればこの世はよくなると考える人がいるかもしれません。でも教育にその力のないことは明らかです。人間の善意の努力でこの世界はよくなりません。よくなるなら、もう実現しているはずです。

 神の御子が十字架で死んで罪の贖いをなす以外に人を罪から救う道はありません。神の御心は人々を罪から救い、この世を救おうとすることにあります。人はまず罪から救われなければなりません。

テモテ一2:4~6
神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。これは定められた時になされた証しです。

 人は罪から救われる必要があります。イエス・キリストが救いを与えてくださいます。それは罪の赦しに留まらず罪に打ち勝ち、神の御心に生きるようになることです。聖書はそれを「聖なる者になる」と呼んでいます。聖なる者を目指さなければ、この世をよくすることはできません。神はキリストを信じる人たちが、それぞれの場で、この世を救う働きをすることを願っています。

マタイ 5:9
平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。

 ところが罪に打ち勝つ力は人にはなく、神の助けを必要とします。神の助けは、基本的には、クリスチャンを罪に打ち勝つ人間(信仰者)に育てることにあります。そしてそのクリスチャンが神のみ心に従って生きるように導くことも必要となります。

 神は人間の心をコントロールすることはなさいません。マインドコントロールをなさいません。人間の自由を重んじます。人間が自ら救われたことを感謝し喜び、神のみ心に従うことを神は願われます。神に仕えて生きる、それが神の願う、信仰者の歩む道となります。

ローマ14:7~8
わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。

 そして神のご計画の完成の時が来ます。

コリント一 15:24~28
次いで、世の終わりが来ます。そのとき、キリストはすべての・・・すべてが御子に服従するとき、御子自身も、すべてを御自分に服従させてくださった方に服従されます。神がすべてにおいてすべてとなられるためです。

フィリ 2:10~11
こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。

  聖書は私たちの思いを越えたことを伝えています。謙遜に耳を傾け、信仰を考えたいと思います。

 

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