クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

クリスチャンの成長(39)罪から解放されて生きる-12


 罪からの解放、罪に対する勝利を考える時に、忘れてはならないのが「肉」という言葉です。まず聖書には「肉の人」という言葉があります。

ローマ 7:14
わたしたちは、律法が霊的なものであると知っています。しかし、わたしは肉の人であり、罪に売り渡されています。

コリント一 3:1
兄弟たち、わたしはあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました。

コリント一 3:3
相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか。

  「肉の人」とは「ただの人」です。つまり世の中のキリストを信じていない人と何ら変わりがない、というのです。コリント教会の中でねたみや争いが絶えずあり、少しも信仰者らしさがないというのです。ねたみや争いは、この世の人の常です。

 「肉の人」は、キリストとの関係では乳飲み子と言われます。乳飲み子とは生まれたばかりの赤ちゃんのことです。つまりイエス・キリストを信じた信仰者が「肉の人」であるなら、その人は信仰者として赤ちゃんの状態に等しいというのです。まだ信仰者として成長していないということです。

 さらに「肉の人」は罪に売り渡されているとあります。つまり罪の支配下にあり、罪を犯して生きていることを意味しています。キリストを信じていないこの世の人たちも罪の支配下にあります。

 人間として大人であっても、キリストを信じていない人は「肉の人」だというのです。つまりこの「肉の人」は神なしに物事を考え、結局、自分中心に物事を考え、生きていきます。このようにして生きる人を聖書は肉の人と呼びます。

 私たちが洗礼を受けキリストを信じた時は、まだ信仰者としては乳飲み子であり、実質的には「肉の人」です。

 この頃話題になっているのが、新型コロナに感染した人への差別、排除です。自分も感染する可能性があるのに自分は感染しないと考え、感染した人を差別し排除しようとします。自分は感染したくないとの恐れに捕らえられ、他者を攻撃します。他者への思いやりが欠如しています。聖書が語る「肉の人」そのものです。

 キリスト信仰に養われない生まれながらの人は「肉の人」です。私が信頼するハイデルベルク信仰問答は、生まれながらの人間は神と人を憎む傾向があると教えます。新型コロナの感染者を排除するのは、まさに人を憎む思いから生まれたものです。

 私たちは生まれた時から「肉の人」として生きてきました。そして洗礼を受けてクリスチャンになりますが、最初はまだ肉の人です。キリストとの関係では乳飲み子です。クリスチャンは、キリストとの関係で、成長することが大切となります。それが神さまの御心です。

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