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隠退牧師 holala によるブログ

信仰に成熟した人って?

 今日、コリント一の2章6節以下をディボーションしました。6節にこう書かれています。

コリント一 2:6
しかし、わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。 

  この聖書箇所を繰り返し読みながら、あゝそうなんだと思いました。信仰に成熟した人ってどんな人なのでしょうか。色々な考えがあると思います。ある基準を設ければ、それに従って信仰の成熟が語られると思います。このコリント書でパウロは「わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります」と書いています。言い換えると「知恵」を語り、それを聞いて受け入れ、話し合うような人たちが信仰に成熟した人ということができます。

2:7
わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。

 パウロが語る知恵とは「神秘としての神の知恵」です。神秘というのは、人間が知り得ないという意味だと思います。それは神が世界の始まる前から定めておられたものとあります。神は世界を造る前に計画を持っておられたのです。神から知らされない限り、人間はそれを知ることができません。またこれが神の計画ですと言われても、人が信じるとは限りません。

 コリント一では、これがその神の計画であるとパウロははっきりとは語っていません。15章で「世の終わりが来ます」とありますから、その神の計画には、終末の到来が含まれていることは確かだと思います。エフェソの信徒への手紙の1章にこの神の計画と思われることが書かれています。

エフェソ 1:4~5
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。

テサロニケ一 4:3
実に、神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです。  

テサロニケ一 5:23
どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます。

 いくつか聖書を引用しましたが、これらは神の計画を示しています。神は世界を造る前に御自分の前に聖なる者にしようとキリストにおいて私たちを選ばれたこと。キリストを信じる私たちが聖なる者になることが神の御心であると教えています。そして終末が到来するとき、私たちは非のうちどころのない者にされること。非のうちどころのない者とは、全く聖なる者のことと言ってよいと思います。

 たとえば以上のように、クリスチャンは聖なる者を目指すことが大切だと語るのは信仰に成熟した人たちであり、これを聞き、受け入れるのもまた信仰に成熟した人たちであるというのです。聖なる者を目指している人はもちろん信仰に成熟した人になります。

 心を神の計画に向け、この計画に関心を示し、この計画に従って生きようとする人、それが信仰に成熟した人だというのです。そして私たちは順境にあっても逆境にあっても聖なる者として歩みます。それが信仰に成熟した人です。そうだよなと思いました。

 私は今日のコリント一2章6節以下を読んでうれしくなりました。自分は信仰に成熟した者であると考えてよいと知らされたからです。

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ハクチョウソウ(白蝶草) 散歩道