クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

信仰者の敵、悪しき力、勢力が存在している!

(クリスチャンの成長(50)キリストに結ばれて- 8)

 「罪」という言葉には色々な意味があります。聖書を読むと「罪」が擬人化されていて、人間に働きかけ人間に罪を犯させる「力」として描かれています。

 アダムとエバがエデンの園にある善悪の知識の木の実を食べてはいけないと神さまから命じられました。ある時蛇が登場し、エバに語りかけ、それをきっかけとして二人は禁じられた木の実を食べたことが聖書に書かれています(創世記3章)。

 蛇は人間に働きかけ罪を犯させる力を象徴しています。このような存在を聖書は悪魔とかサタンと言うことがあります。人間に罪を犯させようとする悪しき力、勢力が存在しています。パウロはそのような悪しき力として「罪」があることを語ります。

ローマ 7:15~17
わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

 私は律法(神の戒め)を行いたいと願っているのに、実行できず逆のことを行っている。なぜそうなってしまうのか。それは私の中に働く罪のせいだというのです。深刻な事態です。

 神さまは人間を造る際、人間に自由をお与えになりました。ですから人は罪を犯すか犯さないか、選択できます。ですから罪を犯したのなら責任を問われます。神の裁きをいつの日か受けることになります。

 では人はまったく罪を犯さないでいることができるのでしょうか。どんな時でも罪を犯さない選択を人間はできるのかと言われたら、できないのです。残念ながら罪を犯さないでいることは人間にはできません。

 ある罪は犯さなくても、別の罪は犯してしまうという弱さが人間にはあります。罪を犯さない人間は一人もいません。罪というのは一種の「力」で人間に働きかけ、人間に罪を犯させるのです。

 こう考えれば罪は、信仰者の敵であることが分かります。罪が私に働きかけ、私は罪の力に屈し、罪を犯してしまうということがあるのです。「罪」は私たちに罪を犯すよう働きかける力であると知ることは大切です。

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