クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

古い人の幽霊登場?

(クリスチャンの成長(57)キリストに結ばれて- 15)

 10月1日のブログに「罪に勝利して生きることを考えるとき、罪から解放された者として生きることを考えるとき、考えるべき大切なことが二つあります」と書きました。第一は「古い人と新しい人の理解」第二は「肉の性質」です。

 キリストに結ばれたキリスト者は新しい人であるとお話ししました。キリスト者はもはや古い人ではないのです。古い人はキリストと共に死んだのです。妻にこの点どう思う?と聞いたら、古い人が時々姿を現すとのことでした。古い人の幽霊が登場したのでしょうか。なぜ、古い人が出てくると思うのでしょうか。それは私たちの内にある「肉の性質」のためです。

コリント一 3:1
兄弟たち、わたしはあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました。

 パウロは、キリストとの関係では乳飲み子である人のことを「肉の人」と呼びました。乳飲み子とは、まだ成長していないとの意味です。

ローマ 7:14
わたしたちは、律法が霊的なものであると知っています。しかし、わたしは肉の人であり、罪に売り渡されています。

 「肉の人」とは肉の性質が強い人、との意味です。肉の性質とは罪に傾く性質のことです。律法つまり神の御心に私が従おうとしても、肉の性質のために、御心に反抗する思いが心の中に湧いてくるのです。古い人はこの肉の性質に従って生きているので、罪に売り渡されている、つまり罪の支配下にあり、罪の奴隷であると言われます。キリストを信じない人はすべて古い人であり、肉の人です。
 私たちキリスト者が新しい人として生きようとすると、私たちのうちにある肉の性質が邪魔をします。すると信仰者の心の中で、主導権争いが生じます。

ガラテヤ 5:16~17
わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。

 キリストを信じる私たちは新しい人であり、神の御心に従って生きようとします。御心に従う思い、それは聖霊が与えてくれるものです。しかし私たちの肉の性質は、霊とは逆のことを私にさせようとします。そこで心の葛藤が生じます。

ガラテヤ 5:19~21
肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。

 この「肉の性質」は、私たちが生きている限り、消えることはありません。自己中心的な心は、まさに肉の性質の典型的なものです。ですから信仰者には、肉との戦い、罪との戦いが常にあります。この肉の性質が私たちを罪へと導くので、私たちは新しい人にされているのに、古い人が時々出てくると感じるわけです。
 しかし古い人は死んだのです。肉の働きと古い人を混同しないことが大切です。肉の働きは古い人にもあり、新しい人にもあります。古い人の幽霊は存在しません。

 問題は、肉の性質にどう対処するかです。