(クリスチャンの成長(61)キリストに結ばれて- 19)
「イエス・キリストを信じ、洗礼を受け、キリストに結ばれたあなたは、罪から解放されています」。
強烈なメッセージだと思います。「罪の赦し」は福音です。罪からの解放もまた福音です。罪の赦しと並んで私たちを救う福音です。
ローマ 6:6~7
わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。死んだ者は、罪から解放されています。
聖書は罪を一種の勢力、力として描きます。罪は私たちを支配し、私たちを罪の奴隷とします。しかし洗礼を受け、キリストに結ばれ、キリストと共に死んだ私たちは罪から解放されました。
人間を支配しようとする罪の力はキリストと共に死んだ人にはその力を発揮することはできません。死んだ人に何をしても、死んだ人に影響を与えることはできません。キリスト共に死んだ人に罪が働きかけても何の影響も及ぼすことはできません。キリストと結ばれた人は罪から解放されました。これは神の出来事なので、経験をもとに信じることはできません。神の言葉である聖書が告げるので、罪からの解放をイエス・キリストによる救いと受けとめます。
ローマ 6:11
このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。
「考えなさい」とあります。信じられなくてもいいのです。まず考えることにするのです。だから「私は罪から解放されている」と考えるのです。そう考える根拠は上に引用した聖書の言葉です。
罪から解放されたとはどういうことでしょうか。
(1)罪から解放されるとは、罪を犯さなくなることではない
罪からの解放とは、私たちが罪を犯さなくなる、ということではありません。もし罪からの解放が、罪を犯さない人になることであれば、新約聖書にキリスト者としての生き方がたくさん書かれていますが、それらは不要となります。罪を犯さないとは、神さまの御心に従って生きることだからです。
キリスト者としての生き方が具体的に書かれているということは、私たちには罪を犯す可能性があることを前提としています。だから罪を犯さないように、具体的にいかに生きるべきかが教えられるわけです。
エフェソ 4:31~32
無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。
このような教えは、罪を犯さないで神のみ心に従って生きるべきことを具体的に教えています。
罪から解放されるとは、罪を犯さなくなる、ということではありません。罪を犯すことはあります。罪を犯すことがあったとしても、洗礼を受けキリストに結ばれた人は、罪から解放されています。