私が受けた手術は「硝子体牽引症候群」(しょうしたいけんいんしょうこうぐん)。これだけではどんなものか想像できません。それはそれとして11月18日(水)午後入院し検査を受け、翌19日午後に手術を受けました。20日(金)朝の診察で右目の眼帯を取ってみると見えるのは肌色のカーテンみたいなものだけで、外は何も見えませんでした。眼球の中に出血があり、眼球が濁っていたために右目は肌色のカーテンを見ているようだったのです。よく見るとワイン色の面白い模様がいくつも見えました。それは出血した血が作っている模様でした。不気味でしたがきれいでした。止血の薬も服用しているので近いうちに出血は止まり、きちんと見えるようになると考えていました。でもなかなか見えるようにならないので不安になりました。
不安。目の手術ですから命に関わることはありません。間違いなく退院もできます。しかしふと思いました。もし私が別な病気で、治るかどうか不安を感じたらどうなのだろう、と。年もとったし、別な病気で入院するようなことがあれば、治るのだろうか、との不安を抱えることがあるはずです。そして最後には亡くなるわけですから、不安が現実になり、亡くなることもあります。こんなことを病室で考えたりするわけです。時間はたっぷりありますから。
その時、私はある人を見舞ったときのことを思い出しました。その方はキリスト者で、私の父がホスピスに入院し最後には亡くなりましたが、その折にお世話になった方です。その方が入院されたと聞き、見舞いに行きました。その時、「今どんなお気持ちですか」と私は聞きました。すると
「治るもよし、常世(とこよ)の朝に目覚めるもよし、です」
と答えられました。治るのもよいし、また地上の生涯を終えて目を閉じた後、永遠のみ国に目覚めるのもよい、との答えです。これは讃美歌30番「あさかぜしずかにふきて」にある言葉です。
1.
朝風静かに吹きて
小鳥も目覚むる時
清けき朝より清く
浮かぶは神の思い
2.
ゆかしき神の思いに
とけゆく我が心は
露けき朝の息吹に
息づく野辺の花か
3.
輝くとこ世のあした
我が魂目覚むる時
この世の朝より清く
仰ぎ見ん神の御顔
この方は治ることなく天に召されました。「治るもよし、常世(とこよ)の朝に目覚めるもよし」。私もこの言葉に立ちたいと思いました。このことを確認できたことは今回の入院の恵みの一つです。