クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

「子供」から「若者」へ

ヨハネ一 2:14
子供たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、/あなたがたが御父を知っているからである。父たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、/あなたがたが、初めから存在なさる方を/知っているからである。若者たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、/あなたがたが強く、/神の言葉があなたがたの内にいつもあり、/あなたがたが悪い者に打ち勝ったからである。

 「若者」に注目します。私たちは「子供」の状態から「若者」に成長し、さらに「父」へと成長します。これは信仰の成長を語るものです。キリストを信じ洗礼を受けた人は「子供」です。そこから「若者」に向かって成長します。

 「若者」の特徴は、「神の言葉が彼らの内にいつも」あることです。これは具体的にどういうことでしょうか。聖書をよく読み、聖書の言葉をよく知っている、あるいは聖書の言葉をよく覚えているということでしょうか。

詩編1編 1:1~2
いかに幸いなことか/神に逆らう者の計らいに従って歩まず/罪ある者の道にとどまらず/傲慢な者と共に座らず
主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。 

  詩編によれば幸いな人は、神の言葉を知っている、覚えているだけではなく、愛し、口ずさむとあります。愛するのは、主の教えが恵みの教えであると知っているからです。そして彼は神の言葉を思いめぐらします。それはさらに言えば、神の言葉を思いめぐらし、神の言葉を行うといってよいと思います。イエスさまも山上の説教の最後でこう教えられました。

マタイ 7:24
「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている」。 

  イエス様の言葉を聞くだけで行わない人は、愚かな人にたとえられています。「神の言葉があなたがたの内にいつもある」とは、神の言葉を行う人といってよいと思います。神の教えを知っているだけではなく、行うのです。「若者」は御言葉を行う人、神の教えに従う人と言えます。

 私たちが神の教えを行おうとする時、抵抗を感じ神の教えには従いたくないと思うことがあります。「人を赦しなさい」という教えに対しては、抵抗を感じる人が多いと思います。しかし神さまは赦しなさいと教えます。それに抵抗するのは、私たちのうちに「肉」、生まれながらの人間の性質があるからです。私たちに罪を犯すように働きかける力、勢力としての「罪」は、私たちの肉に働きかけ、神の教えに従わないように働きかけます。ですからここで、神の助けを求め、「肉」に抵抗し、神の教えに従います。これが「若者」です。

 「若者」は強く悪い者に打ち勝ったとあります。悪い者とは、私たちに罪を犯すように働きかける存在です。聖書はそれを悪魔と呼んだりします。そこでこのような聖書の言葉があります。

ヤコブ 4:7
だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。 

  神の教えを行うことを心がける人は、悪魔に勝ち、悪魔はあきらめてその人に働きかけることをやめるというのです。

 また「若者」は強いとありますが、これは彼の意志が強いということではないと思います。パウロは信仰者の強さについてこう書いています。

コリント二 12:9
すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。 

  私たちは自分が弱いので神に頼ります。キリストの力によって私たちは罪に勝つことができます。「若者」の強さは、キリストの力にあります。パウロは自分の弱さを誇ると言います。私たちは弱さを恥じる必要はないし、弱さのゆえに卑屈になる必要もありません。キリストの力が私たちの味方だからです。 

「若者」は聖書の言葉を知っている人ではなく、聖書の言葉を行う人です。弱いけれどもキリストの力に助けられる強い人です。

 私たちは衣替えをして「子供」から「若者」になります。 

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