クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

神との間に平和を得たキリスト者

「こんにちわ。お変わりありませんか」。
「お陰様で、元気に過ごしています」。
「今日はキリスト者は神さまとの間に平和を得ていることをお伝えしたいわ。」
「神さまとの間に平和ですか。どういうことですか」。
「聖書にこう書いてあるのよ」。

ローマ 5:1
このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、

「神さまの前に正しい者とされたキリスト者は、神さまとの間に平和を得ているとあるのね」。
「確かに書いてありますね」。
「どういうことだと思う」。
「う~ん」
「私ね、幸せそうな人が『私幸せな状態が続いてなんかこわいの。悪いことが起こりはしないか、って心配になるの』というのを何回か聞いたことがあるの」
「分かるわ。私もそう思うから」。
「何か悪いことが起きると、『私何も悪いことしていないのに、と言う人がよくいるわよね』」。
「うん。これもわかるわ」。
「それでね。私たちは神さまとの間に平和を得ているの。神さまとの間に平和を得ているということは、幸せすぎて悪いことが起きるかも知れないという心配はしなくていいということ。私たちは神さまの御手の中にあるので、神さまの許しがなければ何も起きないの。幸せな状態が続いたからといって悪いことが起きるなんて考えなくていいの。また神さまは、私たちが罪を犯したからといって罰(ばち)を与えるようなことはなさらないの」。
「それはうれしいわね。それじゃあ、私の身に悪いことは何も起きないということね。私はいつもランランランと口ずさんで幸いに生きることができるのね」。
「それはちょっと違うのよ。神さまとの間に平和があるとは、神さまは私たちを裏切ったり悪意を持ったりしないということなの。辛いことや苦しいこと、試練などが何も起きないということではないの」。
「それじゃあ、神さまは私たちを必ず守ってくれるとは限らないということ?」。
「それはちがうわ。神さまとの間に平和を得ているとは、神さまは、いつも私の味方でいらっしゃるということかな」。
「私の味方になってくださるということなのね」
「そう、クリスチャンはこの世に生きているから、この世の出来事に巻き込まれるわ。災害に襲われれば、他の人と同じように被害に遭うわ。クリスチャンだからといって特別に守られるということはないと思うわ」。
「それじゃあ、神さまは守ってくれないということ?」。
「そうじゃないの。神さまはね。いつもわたしの味方として、わたしと共にいてくださるということ。私を見捨てることはないということ」。
「ふ~ん」
「だから私たちは将来を不安に思う必要はないの。何が起きるか、それは分からない。でも何が起きても神さまが味方として共にいてくださると信じることができるの。だから私たちはいつも平安で、安心して生きることができるわけね。多くのクリスチャンが支えとしている聖書の言葉を紹介するわ」。

コリント一 10:13
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。

「クリスチャンにも辛いこと、苦しいことが起きる可能性はあるわけね。それは神さまが私たちのことを守っていないということになるわね。もしかしたら、私たちを守ることができなかった、ということ?」。
「そうじゃないの。神さまは天の父なる神さまで、私たちのことを深く考えておられるの。私たちの信仰を強くするために、私たちを試練に遭わせることもあるわ。私たちの身に起きることに意味のないことはないの。苦しいときには、神さまはどのように私を助けてくれるのか、それを楽しみにすることもできるのよ」。
「私たちは神さまとの間に平和条約を結んでいるわけね。だから何が起きても安心、大丈夫ということなのね」。
「そう、分かってもらえたかしら」。
「わかった。色々取り越し苦労をしたり、思い煩うことが多かったけど、神さまが味方だ、と考えれば、心おだやかにして過ごせるわね。感謝だわね。お話ししてくれてありがとう」。

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ミモザ 花はまだ先 馬見丘陵公園にて