クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

キリスト者の弱さと強さ

 イエス様の弟子たちは恐れに捕らわれ、イエス様を見捨てて逃げてしまいました。イエス様がおっしゃったとおり、彼らはつまずきました。イエス様が弟子たちの裏切りを予告したのは、イエス様が人間の弱さをご存じであり、弱さを露呈した弟子たちを拒むことをしないとのメッセージがあったと考えます。そして私たちは自分の弱さを誇ることができるとパウロは語りました。私たちにはキリストにある強さがあります。

コリント二12:9
すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

 自分の弱さに直面した時、人はどうするのでしょうか。ある人は弱さを見せないようにします。また別の人は自分の弱さを隠しません。自分が弱いから、人の助けを求めます。他の人に助けられつつ、そして自分も他の人を助けて歩みます。だれもが自分の弱さに直面します。信仰を持たない人も、自分なりに自分の弱さに対処しながら生きています。

 信仰者である私自身は、弱さゆえの失敗を恐れました。失敗をしそうなことに対しては関わらないようにしました。失敗を避けようとする生き方は、生き方が消極的になります。人間にはプライドがあり、弱さを認めたくないのです。ある時思いました。「自分のことをバカと言えるなら、自由になれる」。自分を弱いと言えるなら、自由になれると考えるようになりました。弱さもまた自分の個性です。弱さを認める時、自分の長所を神さまの賜物と積極的に認めることができるようになりました。

コリント二 11:30
誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。 

  自分の弱さに直面する時は、神さまの出番です。神さまの導きを求めます。私は導きを祈るだけでなく、導きを具体的に求めます。そのために聖書を読み、思いめぐらし、そこから神さまの導きを得るようにします。私にとってキリストの助けは、御言葉による助けです。与えられた導きに従い、あとはゆだねます。そしてあとは、キリストが共にいてくださるので、何とかしてくださる、とゆだねます。神さまの助け、それがキリスト者の強さです。

 

f:id:holala:20210310211911j:plain

スミレの季節です! 散歩道