クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

A長老とBさんの対話(5)新しい人、神さまの御心に思いを向ける人

「A長老、こんにちは」
「Bさん、こんにちは」
「先日は、新しい人として歩むために、良い木になることを勧められました。それは神さまを大切にする心、神さまを喜ぶ心を持つことだと教えられました。では、どうすればいいのでしょうか」
「どうすればいいと思いますか」
「神さまを大切にする心、これが大切だというのは分かります。でも時に、神さまを大切にするか、自分を大切にするかという選択に迫られることがあります。人間って神さまより自分を大事にするものじゃないですか。自分より神さまを大切にするってむずかしいように思います」
「おっしゃるとおりです。でも、だから、神さまを大切にすることを少しずつ学ぶのです。Bさんは奥さんの心を大切にしていますか」
「妻の心ですか。どうでしょうか。妻の心を大切にすることはあまり意識していないですね」。
「奥さんに、Bさんが奥さんの心を大切にしていると思うかどうか、聞いてみてはどうでしょうか」
「それは、ちょっとためらいます。答えを聞くのがちょっと怖いです」
「相手の心を大切にするという点では、伴侶の心を大切にすることも、神さまの心を大切にすることも共通していると思います」
「神さまの心を大切にし、神さまの心を喜ぶにはどうしたらいいのでしょうか」
「まず聖書を読まなければ神さまのことは分かりません。できるだけ毎日、少しずつでいいですから聖書を読むことです。そのとき心がけることがあります。一つは神さまがどういう方であるかを聖書から学ぶことです。私たちは神さまを信じるわけですが、神さまがどんな方か知らないのはまずいと思います」
「神さまがいかなる方かなんて、あまり意識したことがありません」。
「神さまがどんな方か知らないで、神さまを信じているんですか?」
「全く知らないわけではありませんよ。礼拝説教で、神さまは私たちと共にいてくださる方であるとか、御子を十字架につけてまでも私たちを救いたいと願う愛の神で、私たちを愛してくださる方であると知っています」
「そうですね。私は聖書によりもっと詳しく神さまを知ることが大切だと思っています。神さまを信じ、神さまに信頼して生きるのが信仰者ですから、本当に信頼して大丈夫と確信したいわけです」
「でも自分の努力で自分の責任で人生を生きていくのって大切だと思うんです。ですから私が困難に直面した時、神さまが助けてくださればそれでよいと私は思っています」
「なるほど。じゃあBさんの奥さんが、夫はお金だけ渡してくれればそれでいいのと言ったらどうですか。世間ではよく言うじゃありませんか。亭主は達者で留守がいいって。結婚は夫婦が互いに愛し合って生きることと聖書は教えています。愛し合って生きるとは、交わりに生きるということなんです。神さまがBさんを愛し、Bさんも神さまを愛して、神さまとの交わりが成立するんです。愛するためには相手を知ることは大切です」
「そ、そ、そうなんですか。ちょっと認識をあらためなければならないと思います。交わりということは考えてきませんでした」
「キリスト者は新しく生まれた人です。それは交わりを大切にして生きる人に生まれ変わったといえます。だから奥さんの心を大切にすることを手始めにしてはどうでしょうか」
「はい、そうですね。努力してみます。でも今は、神さまの心を大切にし、神さまを喜ぶことを考えたいです」
「聖書を読み、聖書から神さまがいかなるかたかを知って、この神さまを信じていこう、と確信を持って信じるようになることが大切だと思います。だから聖書を読んで、神さまはこのような方だと分かったら、それをメモしていくとよいと思います」
「そうですね。他にはありませんか」
「聖書には色々な戒めがありますよね。戒めは、神さまが私たちに望む生き方です。戒めに従うことを神さまは喜ばれます。そこで大切なことは、なぜ、その戒めを神さまが与えたかです。神さまはどのような思いでその戒めを与えられたのか、その神さまの思いを知ること、あるいは考えることが大切だと思います」。
「たとえば」
「人を殺してはいけないと神さまは戒めました。なぜ人を殺してはいけないのでしょうか」
「人殺しは悪いに決まっていますよね」
「神さまは、悪いことはするなと道徳的に考えて、人を殺すなとおっしゃったのでしょうか」
「そうだと思いますが」
「私の考えはこうです。神さまは一人一人の人間をお造りになりました。あるいは一人一人の人間は神さまのご意思によって誕生し、存在していると考えます。私たちが神さまのご意思によって存在した人の命を奪ったり、その人の人格を否定するようなことを言ったり行うことは、人を愛する神さまのお気持ちを否定することになります。だから人を殺してはいけないのです。神さまは一人一人の人間を愛し、大切にする方なのです」。
「なるほど」
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これはイエス様の教えです。どう思いますか」
「これは実行するのがむずかしい教えです。人にするだけで、人からしてもらえなければ損をしたと感じます」。
「ではなぜ、イエス様はこの教えを説かれたのでしょうか」。
「わかりません。また従いたいとも思いません」
「これを考えることは、イエス様がどのようなお方であるかを考えることになります。イエス様のお心を考えることになります。もしあなたが、人からしてほしいことを人からしてもらったならどうですか」
「うれしいです」
「もし互いにしてほしいことをするような世の中だったら、この世界は喜びに満ちるのではないでしょうか。この世界から争いはなくなり平和が訪れるのではないでしょうか。これがイエス様の願いです。イエス様のお心です」。
「なるほど。でも何か損をするようで、ちょっと抵抗があります」
「正直ですね。でもね、大損をしたのがイエス様ですよ。十字架で自分の命を犠牲にしたんです。人々からののしられ、あざけられて、侮辱されて十字架で死んだんです。大損したのが救い主イエス様なんです」。
「そうなんですね」
「このように神さまの教えの背後にある神さまの思いを知ることは大切であり、また喜びとなります。すると素直な気持ちで、神さまの教えに従いたいと思うようになります。だから神さまの心を知り、これを喜ぶことが新しい人になることであり、良い木になることだと思うんです。どうでしょうか」。
「新しい人として生きるために、まず聖書を読み、神さまの思いに心を向けることが大切なんですね。分かりました。そうしてみます」。

 

f:id:holala:20210326205146j:plain

春爛漫 散歩道