前回、私の終活として聖書を読み、神さまのみ心を知ることを心がけていることを書きました。私は死を越える希望を具体的にしたいと考えています。もちろん、聖書を読み、聖書から具体的な希望を受け取りたいと願っています。今回紹介する聖句は、これです。
コリント一 13:12
わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。
昔の鏡は現代の鏡のように鮮明に映しだしてはいませんでした。パウロは、「おぼろに映ったものを見ている」と書いています。鏡は、それなりに鏡の前にあるものを映しだしていました。現代の鏡のようにリアルにそのまま映し出してはいませんでした。
私は神さまを信じていますが、神さまの存在は見えないし、神さまが何をしようとしているのかは分かりません。神さまの行動を予測することもできません。私にとって神さまは、鏡におぼろに映るような存在です。しかし「そのときには、顔と顔とを合わせて見る」とあります。神さまを見る、神さまのことがはっきり分かるというのです。これはうれしいです。
また「はっきり知られているようにはっきりと知る」とあります。私たちのことを神さまはよく知っておられるというか、私のことをすべてご存じです。そして今、私たちは神さまのことを一部しか知りません。でもそのときには、神さまのことを「はっきり知る」とあります。私の人生を神さまがどんなお考えで導かれたのかを知ることができれば、感謝の思いが満ちあふれてくると思います。もちろん喜びも。そして神さまの愛に深く包まれるのではないかと想像します。
聖書には、神の国での喜びを指し示す言葉がいくつもあります。聖句の実現を楽しみとする終活です。それを探し、思いめぐらす、私の終活です。