クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

世の終わりが来ます

 今、ディボーションでコリントの信徒への手紙一を読み続けています。「次いで世の終わりが来ます」(15:24)とありました。この聖句について色々思いめぐらしました。

1.私は信仰者、信仰によって生きる者

 現代人は世の終わりなど信じていないでしょう。私も現代人です。聖書に書かれているからといってすぐに世の終わりを信じることはできません。でも長い信仰生活を送ってきました。

「holalaさん、あなたは神を信じています。神の存在を実感したから神を信じたのですか」
「いや実感をもとに信じたわけではありません。むしろ導かれて信じました」
「世の終わりも同じですよ。まず信じることから始めればいいのです。世の終わりがいつの日にか来ると考えることから始めればよいのですよ。きっと導かれますよ」
「そうですね。そうでした。まず信じることから始めるのでした」。

2.終わりを見て生きる

 説教で時々語ったたとえがあります。もし神の国に行った時、そこにいたのは沢山のカエルだったらどうするかという話しです。神さまは私を間違えて導かれたのでしょうか。よく見たら、神さまもイエス様もカエルだったのです。これは絶対困ります。
 では神の国に行った時、そこにいたのは、イエス様のように栄光に輝く人たちばかりだったらどうでしょうか。

フィリピ 3:20~21
しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。 

  神の国の住民は、カエルではなく、キリストの栄光ある体と同じ体を持つ人だとあります。

ヨハネ一 3:2~3
愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。御子にこの望みをかけている人は皆、御子が清いように、自分を清めます。

 神の国にいる人は、御子に似た者たちであることが分かります。それは外見がイエス・キリストに似ているということではなく、その人格が御子に似た人だということだと思います。だから私は、イエス・キリストに似た者となることを心がけています。イエス様が父なる神さまの御心に十字架の死に至るまで従順であったように、私も神さまの御心に従うことを大切にしています。だから多分、私は神の国に行った時、違和感なく、神の国の住民になれるのではないかと思っています。

 私はうぬぼれているわけではありません。私は聖人でもありません。ヨハネの手紙にあるように、自分を清める努力をしているだけです。私にとって自分を清めるとは具体的には、御言葉によって生きることです。どこまで達成したかではなく、努力し続けることが大事だと思っています。

3.するとどうなる

 あなたは世の終わりが来ると信じますか、と問われると返事に困ります。堂々と「信じています」とは言いにくいです。もちろん「信じていない」とは言いません。礼拝の中で使徒信条を告白しています。キリストの再臨、最後の審判を信じますと告白しています。ただ実感をもって信じているかと言われたら、そんな実感はありませんから、「信じています」と大きな声で答えることにためらいを覚えます。

 でも私は、イエス・キリストの栄光の体と同じ形に変えられることを信じ、そのために、今、努力をしているなら、私は世の終わりを信じていることになるのではないでしょうか。そう思って、心が落ち着きました。私は世の終わりが来ることを信じている、と告白していいと思いました。

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