アブラハムは神さまに呼びかけられました。そこから彼の信仰の人生が始まりました。
創世記 12:1
主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい」。
この神さまの命令には神さまの約束が伴っていました。
創世記 12:2
わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。
しかしアブラハムが生きている間は、この神さまの約束は実現しませんでした。自分が生きている間には実現しない神の約束を彼は信じました。そして新しい人生に踏み出しました。この信仰、私は好きです。
アブラハムの孫のヤコブは12人の息子がおり、それぞれの息子から部族と呼ばれる群れが生じ、イスラエルの民は、この12部族から構成されました。アブラハムに対する神さまの約束は実現しましたが、その約束の実現を彼は見ることができませんでした。
このアブラハムのことをヘブライ人への手紙ではこう書いています。
ヘブライ人への手紙 11:13
この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。
このアブラハムの姿をヘブライ人への手紙の著者は、こう書きます。
ヘブライ 11:14
このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。
そしてその故郷とは、
ヘブライ11:16
ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。
アブラハムが天の故郷を熱望していたと直接的には創世記には書かれていません。しかしアブラハムは信仰の人生を歩みました。自分が生きている間には実現しない約束を信じて、神の命令に従って信仰の人生を歩み始めたのです。彼は住み慣れた故郷を離れました。地上の故郷を離れて天の故郷を目指したというヘブライ人への手紙の話し、私は好きです。
私は東京生まれ、東京育ち。私が生まれ、育った場所は今は昔の面影は全くありません。私には故郷はないも同然。牧師となって神さまの導きに従って鳥羽に住み、御殿場に住み、金沢に住み、そして今奈良に住んでいます。私もまた「地上ではよそ者であり、仮住まいの者で」す。そして天の故郷を熱望する者です。
この地上で生きている間、天の故郷に帰ることはできません。唱歌には「恋しや故郷 懐かし父母」とありますが、地上の生を終えた後、天の故郷に帰り父に会うことを楽しみとする、これを私の希望とする、それが私の終活です。
天の故郷はどんなところか分かりません。しかし私がこの地上で見たどんな素晴らしい景色よりも、どんな素晴らしい光景よりもはるかに、はるかにすばらしいものであることは間違いないと信じます。