ある時から、予期しないことや思いがけないことが起きても、「神さま、なぜこんなことが起きるのですか」というような「なぜ」という問いを発することはやめました。残念ながら、何がきっかけでそうするようになったのかは今は思い出せません。物事にはさまざまな見方があります。見方が変われば、生き方も変わります。
何かが起きて、「神さま、なぜこんなことが起きるのですか」と問いを発することはあります。神さまを信じているのに、信じている私が落胆するような事態が起きることを神はなぜ許したのか、と疑問に思うわけです。
別な見方もあります。このことにはどんな意味があるかと考えることができますし、こういうことが起きたからには、神さまは次に何をしてくださるのだろうか、と神さまに期待することができます。その中で自分は何をしたらいいのだろうか、と考えることができます。私はある時から、この見方をとるようになりました。信仰生活の積み重ねの中から得た知恵というか悟りというか、しかし聖書が教えていることに他なりません。
「神さまに信頼しているのになぜ」。「だから神さまに信頼する」。どちらを選ぶのか、それは私たちの自由です。どちらが聖書的かと言えば、それは明らかです。
「だから神さまに信頼する」という立場にまだ立てなかったときに、つらいことが起きました。つらさの中で悩み、どうしていいか分からず、うつ病になるのではないかと思ったことがありました。特に日曜日、これから教会に行くという時、嘔吐感が繰り返し襲ってきてつらかったことがありました。心の底では何とか自分の力で解決したいとの思いを持っていたようです。そんな力は自分にはありませんでした。それで苦しみ続けました。
そんな私を神さまは憐れみ、逃れの道を用意してくださいました。
コリント一 10:13
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
聖書の言葉は真実でした。神さまは、私のことを心に留めていてくださったのだと感謝し喜びました。「私に信頼しなさい」と教えていただきました。逃れの道を備えてくださる神さまをどうたたえたらいいのでしょうか。
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今日、ワクチンの二回目の接種を受けました。