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隠退牧師 holala によるブログ

信仰義認をめぐって(1)義とされたアブラハム

 7月5日のブログに「信仰によって義とされる」ことについて書きました。それは十分な内容ではありませんでした。もっと思索を深めなければならないと思うようになりました。それは「信仰によって義とされる」ことを説教する機会が与えられ、思いめぐらしているからです。

 神さまは、イエス・キリストを信じる者を義とすることにしたとパウロは語ります。このパウロの洞察はすばらしいですし、イエス・キリストを信じる者を義とするという神さまの救いの方針も深いことを思います。このことを明らかにできればと願います。

 パウロはローマの信徒への手紙(以下ロマ書)4章で信仰によって義とされた人を語っています。つまりアブラハムです。旧約聖書に、すでに信仰によって義とされた人がいたのです。ではアブラハムはどのようにして信仰によって義とされたのでしょうか。創世記12章で神さまがアブラハムに呼びかけます。 

「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように」(創世記12:1)。 

 ここには神さまの約束と命令があります。アブラハムの子孫は大いなる国民になる、これは約束です。そして「わたしが示す地に行きなさい」、これは命令です。約束が実現するためには命令に従う必要があります。アブラハムはこの神さまの呼びかけに答えて、神さまが示す地に向かって旅立ちます。この時、アブラハムは75才。妻との間には子どもはいません。妻は10才下なので65才。もう年寄り夫婦です。しかも自分の子孫が大いなる国民になるという約束は自分が生きている間は実現しないのです。それなのに彼は子孫が大いなる国民になるという神の言葉を信じて、住み慣れた地を離れて旅立つのです。 

 それから何年かが過ぎました。子どもは授かりません。このままで自分が死ねば、自分の僕(しもべ)が跡を継ぐことになります。アブラハムが子が授からないので、自分の子孫が大いなる国民になるという神さまの約束を疑い始めていたと思われます。すると神さまはアブラハムに声をかけて言います。 

「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる」(創世記15:5)。

「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」(創世記15:6)。

  空を仰ぎ、数えることができない星を見たとき、アブラハムは主を信じたとあります。アブラハムはただ神を信じたのではなく、神の約束を信じたのです。このことのゆえに神さまはアブラハムを義と認めた、つまり正しい人間と認めたのです。アブラハムは神さまを信用したのです。神さまからみて正しい人間は、神さまを信用する人なんです。 

 神さまの戒めを熱心に守る人が神さまから見て正しい人ではないのです。神さまを信用する人が神さまの目に正しい人なのです。

 どう思います?

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