昔、年配の教会員の方が、
「先生、年をとるって、新しいことを経験することなんですよ」
と言われたことを思い出します。牧師としての働きから退きました。でも信仰者なので聖書を読む生活は続けています。
そして今聖書を読みながら考えるのは、イエス・キリストによる救いとは何か、です。あるいは福音とは何か、です。このようなことを考えるようになるとは思いもしませんでした。
「あなたはイエス・キリストによる救いを宣べ伝えてきたのでしょ、福音を語ってきたのでしょ」
と言われれば、
「そうです」
と答えます。それでもなお、考えるのです。そして自分はどれほど救いについて分かっていたのだろうか、と思いながら聖書を読み、思いめぐらします。
毎週毎週説教の準備のために聖書を読み、神学を学び、聖書のメッセージを掘り下げる努力をして説教してきましたが、聖書を深く読もうとすると、深みには入れない自分の未熟さを感じたりもします。聖書って不思議な書物であり、神の存在を証しする書物だと思わされます。