クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

神よ、なぜ

 今、朝日新聞に池澤夏樹氏の小説が連載されています。「また会う日まで」という題です。新聞の連載小説はこれまで読んだことはありませんが、これは読んでいます。

 主人公の妹が行きずりの人と関係を持ち妊娠をします。この妹はキリスト者であり伝道者です。軽々しい気持ちで関係を持ったわけではなく、深い事情があります。主人公は妹を結婚させ、生まれた子に両親を与えようと配慮します。自分の従弟である末次郎に話を持ちかけ、結婚してもらうことにしました。やがてトヨは出産します。

 しばらくしてトヨは夫の末次郎の子を宿します。しかし出産の時、トヨは亡くなります。生まれた子は幸い無事でした。妻を失った末次郎は、だんだん礼拝から離れていきます。神はなぜ、妻の命を奪ったのか、との思いがあったのだと思います。

 神さまに対して、なぜ、と疑問を抱くときがあり、その答えが分からないとき、気持ちが神から離れていくことがあります。無理もないと思います。でも神さまと共に歩んで欲しいと思います。

 そんな私にある思いが心に浮かんできます。人は苦しむことへ召されることがあると。いや正確に言えば、慰めへと召されることがあると。そしてそれは特別な召しであると思うのです。そして私は次の聖書の言葉を思い起こします

コリント二1:3~5
わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。

 人々を慰めることができる、大切な働きだと思います。 

8月15日礼拝説教奉仕

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