クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

私が説教で使うたとえの紹介(1)カエルのたとえ

 イエス様はたとえを語られました。それで私もたとえを使うことがあります。私のオリジナルなたとえです。一つは「神の国に行ったら、そこにはカエルがいた。みんなカエルだった」というたとえです。神の国はすばらしいものと信じていたのに、そこにいるのはみんなカエルです。驚きます。違う場所に来たのではないかと思います。どうしようと不安になります。さらに言えば、イエス様も神さまもカエルだったのです。

 なぜこんなたとえを話すのかというと、私たちは神の国に行く備えをしているのか、と問題提起をしたいからなのです。私たちが神の国に行ったとき、そこにいるのがみんなカエルだとすれば、明らかに違和感を感じるし、間違ったところに来たのではないか、と思います。カエルというのはたとえです。つまり、私たちが神の国に行ったとき、そこにいる人たちが神の国の住民にふさわしく、イエス様のような人たちだったら、あなたは違和感を感じませんか、大丈夫ですか、という話しです。

 聖書には、耳を傾けるべき言葉があります。

コリント二 3:18
わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。

フィリピ 3:21
キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。

 私たちが神の国に迎えられた時、キリストに似た者に変えられると聖書は語ります。それはつまり完成を意味します。信仰者の歩みは、キリストに似ることを目指す歩みです。だから、キリストに似る歩みを目指さないで神の国に行ったら、違和感を感じなければいいですね、という話です。

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