クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

私が説教で使うたとえの紹介(3)おたまじゃくしのたとえ

おたまじゃくしは 蛙の子
なまずのまごでは ないわいな
それがなにより 証拠には
やがて手が出る 足が出る

 もし私がおたまじゃくしで、君はカエルになるよと言われたら、私はそれを信じるでしょうか。信じない理由は色々あります。カエルにある手と足が自分にはありません。手と足が生えてくる、そんなことがありえるのでしょうか。また自分は水の中で生活しているのに、カエルは陸上にも自由に行くことができる。自分が陸上で生きることができるとは到底思えません。つまり自分がカエルになるとは簡単には信じられません。

 しかし、現実におたまじゃくしは成長してカエルになっていきます。自然界の神秘ということができるかもしれません。自然は不思議なものを私たちに見せてくれます。そこには信仰を考えるとき、私たちを励ますものがあります。

 神の前に罪を犯す人間。キリスト者になっても罪を犯す人間。そんな人間がイエスに似た者、キリストに似た者になることができるのでしょうか。多くのキリスト者は無理だと考えているのではないでしょうか。身の回りにキリストに似た者になったキリスト者がいないし、考えただけでも無理だと思ってしまいます。

エフェソ 1:19~20
また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、・・・・

 神さまは、絶大な力を持っておられます。神さまは、その力によってキリストを死者の中から復活させました。そしてこの力でもって、私たち信仰者に働きかけるというのです。私たちに対して絶大な働きをなさる神の力がどれほど大きなものかを悟るようにとパウロは祈っています。この力はどこにおいて発揮されるのでしょうか。それは私たち罪を犯す者が、キリストに似た者に変えられるところに発揮されると信じます。

 私は祈るとき、キリストに似た者となりますようにと必ず祈ります。少しずつ少しずつキリストに似た者へ成長すること、神さまが私を成長させてくださることを信じています。

8月22日礼拝説教奉仕

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