イエス様は種まきのたとえをなさいました。それとは全く別のたとえです。このたとえは、最近思いついたので説教でいつ使うのかは分かりませんが、機会があれば使いたいと思いました。種を蒔くと種は芽を出し、茎を伸ばし葉をつけ、成長して花が咲き、実を結びます。種は成長し実を結びます。
私たちがイエス・キリストを信じ、洗礼を受ける時、神さまは私たちの心に種を蒔かれます。それは「神の子」という種です。キリスト者の心の中に蒔かれたこの種はやがて芽を出し、茎を伸ばし、葉をつけ、花を咲かせて実を結びます。言うまでもなく、この種を成長させてくださるのは神さまです。キリスト者は神の子として成長することをたとえたものです。キリスト者は罪を犯すかもしれませんが、神の子です。もはや罪人ではありません。神の子という種をいただいたのですから。
植物の種は、環境と条件が整えば、芽を出し、成長し、やがて実を結びます。しかし人の心に蒔かれた「神の子」という種が成長するためには、水をやったり、手入れが必要となります。これをするのはキリスト者自身です。その上で種を成長させて実を結ばせてくださるのが神さまです。
このたとえを通して、キリスト者は成長し、実を結ぶようになることを伝えたいと考えています。このたとえに関する著作権は放棄をします(笑)。