朝起きると、なんか生きるの疲れたな、との思いが湧いてきました。時々マイナスの思いが湧いてきます。思いが湧いてくるのを抑えることはできません。妻の母は100歳で召されました。私が100歳になるまでまだ25年以上もあります。あと25年生きるのは大変だと思います。妻の母は本当に頑張ったんだなあと思います。
今日は第二コリント8章を読み思いめぐらしました。特に今日は9節を思いめぐらしました。
8:9
あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。
この箇所は献金、慈善について語る文脈の中にあるので、キリストの救いの恵みを「貧しさ」と「豊かさ」という言葉を使って表現しています。イエス・キリストは豊かであったのに貧しくなられたとは、神であるのに人となられたことを意味しています。さらには十字架の死を遂げられました。
それは貧しい私たちが豊かになるためだったとあります。救われる以前、私たちは罪の中にありみじめな存在だった、つまり貧しかった。しかしイエス・キリストを信じて神の子とされた、つまり豊かになったと語っているように思います。
それでは自分はどのように豊かになったのか、とこれまでの歩みを振り返るように導かれました。何よりもイエス・キリストを信じ、神の子とされ、神の子として信仰の歩みができたことは本当に幸いでした。神の子とされることは大きな救いの恵みです。
こんな風に思いめぐらしていたら、生きるの疲れたなとの思いは洗い流されたような気がしました。感謝です。