クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

キリストにより豊かにされた私(2)人を愛する心

コリント二 8章9節
あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。

 人に親切をすることは大切だと教えられて育ちました。でも人を愛するとはどういうことかは信仰を持つまでは知りませんでした。若い時、人を好きになり、結婚したいと考えていました。愛し合うとは、同じ方向を見て生きることだと考えていました。

 信仰を持ち、愛することを教えられました。愛は感情ではなく、意志であると受けとめました。私は見合いをして結婚しました。その当時神学校に行くことを考えていたので、牧師になる可能性があるので、それがイヤなら断ってくださいと最初に会ったときに伝えました。クリスチャンの彼女は私を受け入れてくれたので、結婚を決意しました。相手を好きになって結婚したという道筋ではありません。愛するとは意志、だからお互いに愛し合って生きていけばいい、そう思って結婚生活に入りました。それは今も変わりはありません。

 牧師になり、教会員や教会に来る人たちとの関わりが生まれ、愛することが課題となりました。問題を抱えて教会に来る人たちと関わるとき、自分の愛の薄さを知らされます。逃げたい、関わりたくないとの思いが湧いてくるからです。愛の薄さを知るので、神さまに助けをいただいて愛していこうと考えますし、愛する努力を重ねてきました。愛することができることは幸いであると思うようになりました。愛することは信仰者の喜びです。自分の愛の薄さは気にしません。それが罪ある人間の現実だからです。必要なのは、愛する人へと神さまに変えていただくこと、そして人を愛すべく、一歩を踏み出すこと、そう考えてきました。

 だから少しでも愛することができればいい、そう考えています。愛に満ちあふれる人間になったわけではありませんが、愛に生きたイエス様を模範にしています。少しは人を愛することのできる人間になったと思います。

マルコ 10:45
人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。

ヨハネ一 4:7
愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。

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里山の秋