クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

神への渇き

 先日、ある讃美歌の英語の歌詞を訳したものを友人に送りました。イエス・キリストによる救いをたたえた歌です。チャールス・ウェスレーの作詞の讃美歌で、讃美歌第二篇230番「わが主を十字架の」です。手紙を書いたとき、讃美歌第二篇にあるとは知りませんでした。『スザンナ・ウェスレーものがたり』(大塚野百合)を読んで知りました。すると友人からの返事にこう書かれたいました。

「歌詞をかみしめるとき、私のたましいと心には、大輪の美しい花火が爆発したようです。それは、私の内側で広がり、あまりに美しい景(すがた)は、花火の光が空から徐々に消えていっても、強烈な、余韻と残像を心にきざみ込んでいます」。

 私はこれを読んでショックを受けました。私の心には彼のような強い反応がないからです。私はいい讃美歌でとても好きですが、彼のような感激はありません。この違いって何?と思うのです。私は彼が感受性の豊かな人だと思っているわけですが、私も彼のように感じることができたらといいなと思うのです。そこで思いました。やはり私には渇きがあると。

詩編 42:2~3
涸れた谷に鹿が水を求めるように
神よ、わたしの魂はあなたを求める。
神に、命の神に、わたしの魂は渇く。

 この讃美歌の題名は、and how can it be that I should gain です。私はユーチューブでこの曲を賛美している動画を見て自分でも歌うのですが、その動画の中で賛美している人たちの顔を見て、共に信仰に生きる喜びを感じている自分を見出します。

f:id:holala:20211105223801j:plain

イヌタデ 散歩道