クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

キリストにより豊かにされた私(5)平安な心

コリント二 8章9節
あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。

 キリストによって豊かにされた私の5回目は<平安な心>です。

 第一に死の恐怖からの平安です。幼い頃に祖母が亡くなり、死んだ人は二度と姿を現しません。死んだらどうなるのか、幼心に死は恐ろしく、私の心から平安は失われました。死を考えないように生きようとしましたが、本質的な解決ではありません。ふとした折に死の恐怖におののきました。

ヘブライ人への手紙 2:14~15節
ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。

 イエス・キリストを信じ、平安が与えられました。

 第二に失敗の恐れからの平安です。私はある意味で優等生でした。努力して、それなりの成果を上げてきました。牧師になり、色々な課題に直面するようになりました。こうすればいいという解決はあるとは限りません。すると失敗することへの恐れに縛られ、どうしたらうまく問題・事態を乗り越えることができるのかと考えます。すると思い煩いが始まります。時にどうしたら逃げることができるだろうか、などとも考えます。失敗してはいけない、問題をちゃんと解決しなければならない、そう考えると苦しく辛くなります。

 ある問題に直面し、見事失敗しました。そこで思いました。物事を何でもうまく対処し、相談を受けたらちゃんと解決してあげなければならないと考えるのは傲慢であると知りました。失敗はしてもいい、でも逃げない。神さまが共にいて導いてくださると信じ、平安が訪れました。

 第三に信仰。神さまは「恐れるな」と私たちに呼びかけてくださる方です。神さまに信頼し、御心に従う歩みをするなら、結果がどうなっても神さまが導いてくださると信じることにしました。私はプライドを捨てました。神さまに信頼し、御心に従う歩みをしたとき、どんな結果になってもそれはわたしにとって良いものであると信じ、受け入れることができるようになりました。私の心の底には、いつも平安があります。

 第四に弱さを誇る。弱さを認めるところに平安があると私は信じています。

コリント二12章9節
キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

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紅葉した柿の葉