創世記は神による天地創造を語ります。その中で神はご自身に似せて人間を造られました。神にとって人間とはどのような存在なのでしょうか。
御自分に似せて造られたのですから、神には人間に対する特別な思いがあるはずです。遊びでいい加減に、また思いつきで人間を造ったとは思えません。御自分に似せて造ったのはなぜなのでしょうか。人間が神に似ているとどうなるのでしょうか。神の何が似ているというのでしょうか。
神は自由なおかたです。人間は自由意志を持つ者として造られました。神は他者と関わりを持つおかたです。人間は他者と関わりをもって生きる存在として造られました。神は何よりも人間と関わりを持つことを願われました。そして人間は言葉を使う者として造られました。神は語るかたであり、人間も語る者とされ、言葉によって人間は神と関わり、他者と関わる者とされました。
以上は、創世記の最初に書かれています。アダムとエバは、夫婦として結ばれ一体となりました。互いに関わって生きる者とされました。また神からは、園の中央にある善悪の知識の木の実を食べてはいけないと警告されました。最初に造られた人・アダムはエバおよび神との関わりをもって生きる存在であり、自由を与えられた存在でした。
神がこのように人間を造られたことは何を意味しているのでしょうか。神はなぜ、このように人間を造られたのでしょうか。もし私たちが天地を造られた神、そして自分もこの神によって存在していると信じるなら、神について何を信じることができるのでしょうか。神とはどのようなお方なのでしょうか。
旧約聖書と新約聖書を読んだ者として、神は愛であり、神は人間を愛するかたである、というのが私の答えです。神に似せて造られた人間が愛するものとなるのが神の願いです。神に似せて造られた人間は、何よりも神に愛される人間です。神に似せて造られたからには、人は自分が神に愛される存在であることを信じることができます。