コリント二 8章9節
あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。
キリストによって豊かにされた私の8回目は<喜ぶ心>です。喜びということで思い出される聖句があります。
テサロニケ一 5:16
いつも喜んでいなさい。
これを読んでクリスチャンは、いつも喜べるようなことがあるわけではないので、いつも喜ぶのは無理だ、と思ったりします。この聖句は喜べることをさがして喜びなさいということではないと思います。かつてこの聖句を思い、喜びを数えたことがありますが、それは無理であることが分かりました。
何かあったから喜ぶ、というのではなく、自分の現実を受け入れることができることを喜ぶことを教えていると思います。日々の生活には色々なことが起きます。色々な感情・思いが湧いてきて心が落ち着きを失い騒ぐことがあるかもしれません。それは心の表面上のことです。
信仰から来る喜びが心の底にあります。イエス・キリストを信じ、罪から救われ、信仰によって生かされていることが心の底にある喜びとなっています。日々の生活で色々な思いが湧いてきても、心の底にある喜びが失われることはありません。これからも失われることはないと信じています。何かがあって~だけれど、それにもかかわらず心は喜んでいるという私です。
讃美歌527「わがよろこび、わがのぞみ」があります。その5番の歌詞はこうです。
ならびもなき愛の主の
みこえぞうれしき
わがのぞみ、わがいのちは
とわに主にあれや
私は主のみ声を聞く思いで日々聖書を思いめぐらしています。
聖霊の実は、愛、喜び、平和・・・。平凡な私にも聖霊の実が与えられています。感謝。