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隠退牧師 holala によるブログ

使徒パウロの思い

 今、第二コリントを少しずつ読み、思いめぐらしています。昨日、11章1~6節を読んで感動を覚えたのでお知らせします。パウロによれば偽使徒とされる人がコリント教会に来てパウロを批判し、その結果パウロとコリント教会の関係は悪化しました。そこでパウロは手紙を書いています。この箇所でパウロはこう書いています。

「あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています」。

 パウロは、神が抱いている熱い思いを知っているのです。こういう言葉を書くこと自体が驚きです。神の思いを知ることは簡単ではないと思います。それを「知っている」と書くのですから、驚きです。そして神が抱く熱い思いを自分も抱いていると書きます。そして自分のしたことを紹介し、熱い思いを抱いていることを証しします。パウロは、伝道者としての思いをこう書きます。

わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです。

 パウロはコリント教会の人たちを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたと書きます。パウロはコリントの町で伝道して教会を設立しました。パウロにとって伝道とは、単に信仰者を増やすということではないのです。パウロはロマ書で次のように書いています。

ローマ 15:16
異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を務めているからです。そしてそれは、異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれる供え物となるためにほかなりません。

 異邦人を信仰者にするとは、彼らを神に喜ばれる供え物にすることだというのです。これと似た思いが第二コリントのこの箇所にも言い表されているように思います。伝道とは単に信者を増やすことではないとパウロは語ります。神の熱い思いを抱くことだというのです。それは具体的にどういうことなのでしょうか。

 神の熱い思い。それは神を信じる人が神のものになること、神を愛する人、神を喜ぶ人、神に仕える人、神に信頼する人、神を誇る人になることだと思いました。このことを神が切に願っているというパウロの理解があります。そしてパウロはそうなるように努力したというのです。使徒と呼ばれる人の考えは深いと感じます。

 伝道者の意識改革の必要をこの聖書箇所は訴えているように思います。どんな思いで福音を宣べ伝えるのか。普通は信仰者を増やしたいとの思いです。それが神から与えられた使命だと考えます。しかしパウロの思いはそれを越えています。信仰者を花嫁として夫であるキリストに献げるというのです。さすがパウロ!

 このパウロの言葉は私にとって、うれしい言葉でもありました。私が牧師として現役で働いていた頃、私は信徒育成に力を入れました。伝道し信仰者になった人たちの信仰を育てるのです。それが今日の箇所で、それは神の熱い思いにつながると知り、自分の努力が御心に添っていたと知ったからです。

 伝道が困難な時代ですが、伝道の深い意味を知ることは大切なことだと思います。深い意味を知れば祈りも深くなり、伝道の道が拓けるかもしれません。

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