クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

クリスマスの恵みを考える(1)

 まもなくクリスマスです。クリスマスは言うまでもなく、救い主、イエス・キリストの誕生をお祝いする祭です。イエス・キリストの誕生について聖書は次のような言い方をしています。

  • 聖霊によって身ごもった(マタイ1:18、ルカ2:35)
  • 言が肉となった(ヨハネ1:14)
  • 神が人となったと(フィリピ2:6~7)

 私は「神が人となる」とはどういうことなのか、考えました。しかし私は、神が人となることがどういうことなのかは理解できません。説明もできません。私は神ではないからです。しかし神が人となるところに何か伝わってくるものがあると考えます。それが何かを探っています。

 一つたとえを考えました。以下、たとえです。

 私の父はアリが好きです。私の家の庭の地下にはアリの世界があると父が言います。ある時父が言うのです。「アリの世界は今大変な危機に陥っている。お前にお願いがある。アリになってアリの世界に行き、アリを助けて欲しい。そして実は言いにくいのだが、アリを助けるために、アリとなったお前は死ななければならないのだ。どうだ、行ってくれるか」。
 父は真剣な顔で私に語りました。それで私は返事をしなければなりません。私は断りました。アリになってアリのために死ぬなんて、受け入れることはできません。どうしてそんなことができるのかと思います。

 以上がたとえです。しかしこのたとえの「私」をイエス・キリストに置き換え、アリを人間に置き換えたらどうなるのでしょうか。神であるイエス・キリストは人間の世界に行き、人間を助けるために人間になり、死なれたことになります。聖書には、そのことが書かれています。たとえに出てくる「私」はアリになること、アリのために死ぬことを拒みました。しかしイエス・キリストは父なる神の言葉に従い、人間の世界に行き、人間のために十字架で亡くなられました。たとえの「私」はなぜアリになることができず、イエス・キリストはなぜ、人になることができたのでしょうか。

 もしあなたがアリの世界に行って欲しいと言われたら、どうしますか。

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