クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

祈祷会での証し 2021.12.8

 今年、特に比較的最近になって今までなかった経験をするようになりました。それは朝目覚めたときに自分は何のために生きているのだろうかという思いが湧いてくることです。現役の仕事から離れ、自分のなすべきことがなくなり、コロナ禍ということもあり、単調な毎日を過ごしていることが原因としてあると思います。生き甲斐を見失ってしまったように思えたのです。

 また目覚めたときに、生きるのに疲れたなというような思いも感じます。長年生きてきたので、心身の衰えがあり、このような思いに導かれたのかと思いました。そしていつ死んでもいいなという思いもついでに心に浮かんできます。

 このような気持ちにどのように対処したらいいのか、あれこれ考えます。単調な毎日ですが、掛け替えのない一日、一日を過ごせたらいいなと思ったりしますが、毎日を掛け替えのない日にするのはむずかしそうです。よい解決があるわけではなく、前日に考えたことを忘れて、また同じことを考えたりします。

 こんな日々を過ごすことによって、人は自分の死を受け入れていくようになるのかもしれません。

 とはいえ、朝目覚めたときはいい気持ちで目覚めたいとの思いは確かであり、思案をします。そこで思ったことは、生きるのに疲れたという思い、自分は何のために生きているのかという思いで目覚めるのは一種の老人病と考えてよいのではないかと考えました。生活習慣病と同じように、根本的な解決はないのです。受け入れるしかないのです。信仰者なのにそんなことを言っていいの、という思いはあります。あなた牧師だったのだから、「信仰によって老いをいかに生きるか」きちんと考え、教えてくださいよ、という声があるかもしれません。でもこれは老人病で心に湧いてくる思いを抑えることはできないのです。湧いてくる思いに打ち勝つのではなく、いかに対処するかを考えることにしました。

 思いめぐらしながら得た結論がありますので紹介します。私の答えは讃美歌を歌うことです。現在は二つの讃美歌を歌うことにしています。

 一つは讃美歌294番です。「みめぐみゆたけき 主の手にひかれて」。神さまの導きに信頼して歩むことを歌っています。4番の出だしは「世の旅果てなば」とあります。8文字です。英語の歌詞を日本語に訳すと私の訳では、「私が地上でなすべきことをなし終えたとき」となり、22文字。この訳をメロディーに乗せることは無理です。訳すことの難しさを感じます。同時に「世の旅果てなば」、上手に訳されたと思います。

 私は、この「私が地上でなすべきことをなし終えたとき」(And when my task on earth is done )という表現が好きです。神の御前で「私の地上でなすべきことをなし終えたとき」に神は私を天に召されるというのです。神を信じ信頼し、なすべきことを今日も一日すればよい、それでいいと教えられます。

 もう一つの讃美歌は142番です。キリストの十字架による救いを歌ったものです。この讃美歌は味わい深い讃美歌で、歌詞を本当に味わいたいと思います。これを賛美し、自分が救われ、導かれ、生かされてきたことを思い起こすことができます。そこで賛美し、今日も一日感謝して生きて行こうと導かれます。そして一日の終わりに、御国への一日の旅路を歩むことができたことを感謝します。

 このように讃美歌を歌いつつ、あの老人病に対処しつつ、歩むこの頃です。

証しを終えた後、どんな風に賛美しているのかと聞かれたので、パソコンの画面でユーチューブに賛美のビデオを映し出し、表示される英語の歌詞を見て賛美していると答えたら、ああ、カラオケですねと言われました。その通りです。

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